獲れすぎた野菜と畑の雀

私の履歴書・23
〈雀に遊ばれて〉
下川大内小学校5年(1956年S31年)の時、初めて、ゴムのパチンコで雀を打ち落としました。
感激!でしたね。

裏の畑に、一本だけの大きな桜の木があり、雀はそこにいつも十羽程停まっていました。

イメージ 1当初、私が木の真下から狙いを定めてパチンコで小石を飛ばした時は、逃げていた雀達。(写真:豆粒の小石をゴムに挟んで引っ張り、離す)
.
いつの間にか、ピュンと傍をかすめようが、逃げなくなったのです。
.
つまり、私は、雀に全く無視されていたのです。

或る日、いつものように真上の雀を狙って、平べったい小石ではじきました。
案の定、小石は、左に外れて雀は馬耳東風。

ところが、ところが、小石が雀の傍を通り過ぎる直前、何と、小石は、キュンと右へカーブ!
見事!下あごに命中! 当たった! と小躍り。

何かが、私の横にゆっくり落ちて来ましたね。何だろう?と見下ろすと、死んだ?雀?
まさか! その死んだ?雀を、家に持ち帰って、日の当たる縁側に置きました。

あんなに私を小馬鹿にした雀よ!焼鳥だ!と思いましたが何となくかわいそうです!
何処かに埋めてあげなきゃ!と思っていると、微かに動き出しました。

ダメージが大きいから、もう飛べないかも?何処か骨折しているかも?
と思っていましたら、あれよ?あれよ?で、ピュンと飛んで行きました。

その時からです。雀達は、私の姿を見ただけで逃げるようになりましたのは。
満足でしたね。無論、雀に当たったのは、このたった一度だけ。



〈畑の野菜を食べる苦しみ〉
当時、家では、この桜の木のある50坪程の畑を耕していましたね。
いつも、我等兄弟は、三本鍬(くわ)で畑打ちをやらされました。

鍬で掘る深さは、親父並みを要求されるのですよ。だから鍬に渾身の力を込めて打ち下ろさなければなりません。数度、掘りましたら休憩。これを何度か繰り返したらヘトヘト。逃げようとするとゲンコツが飛んでくる!

親父は、「直ぐにアキオ」と私を呼びましたね。(アキオ→飽き男)

そして、そして、野菜と言うものは、旬があり、採れ出したら、とことん採れるのです。
つまり、毎日の食卓が、来る日も~、来る日も~、おんなじ野菜!

インゲンマメには参りました。この年は、どこの農家でも豊作。うちの畑も鈴なり。更に貰い物。
もう見るのも嫌だ!が、食べ残すと親父のゲンコツ!! 泣きながら食べましたね。

ですから、インゲンマメのゴマ和えを食べれるようになったのは、ここ十年です。
白菜は、水炊きのポンズが登場してからでしたね。

尚、次兄は、かぼちゃで苦労したらしいですが、私、かぼちゃは大好きでした。


イメージ 2.
.
写真、右が当時の次兄
左が私。小学校5年生か6年生。
.
場所は芋川の河原。