当時の知人のお嬢さん

私の履歴書・24
〈バナナは横目〉
この時期(1956年・s31年頃)は、お小遣いの十円玉を握って学校の近くのお店に行き、買うのはラムネ・アイスキャンデー・キャラメルでした。

遠足や運動会の前には、必ずバナナがありましたね。当時で、一本二十円以上はしたと思います。
この時は、横目でよだれを垂らしながらですね。

秋田県人のルーツは?〉
東京単身赴任の後半(八年前・1999年)、部署は違いますが同県人の同僚が、私と同郷のホステス(学生アルバイト)がいたというのです。何度か同僚に誘われ、断り切れずに行きました。

場所は、山手線大塚駅広場から数軒入ったビルの地下でした。
当時、彼女は、二十歳か二十一歳だったと思います。

生まれ育ったのが本荘市
現在も父母共に健在で本荘市にいるとの事です。

イメージ 1.
よくよく聞きますと、彼女の父は下川大内村出身。
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然も下川大内小学校の北東角のあのお店の長男。
(場所は、画像の中央の緑色の◎)
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追記1)彼女の祖母の家は下記記事の画像の一番手前の家。
私の履歴書⑱ ヤマメの渓流と小鮒釣りしかの川
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/50057397.html
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追記2)2012年現在、この小学校の跡地には、大内中学校が建っています。
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驚きましたし、直ぐに思い出しました。私より一つ下。
彼は、父親(祖父)に似て背が低め。
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他方、彼の母親(祖母)の当時は、背のするりと高い、面長・色白。
特に印象的なのは、だんご鼻ではなく、薄くてするりと高い鼻。

それも三角定規のように先が鋭角。目の色がちょっと薄い。
このような人には、初めてお目にかかりましたね。

今月、偶々、下記ブログに出会い、秋田県人のルーツについて驚かされました。
縄文時代鳥海山を目指して日本に渡って来た源ヨーロッパ人の血が混じっていると言うのですから。

青森県では、何世代に一度、金髪の子が生まれる場合があるとの事。
このブログの著者は、山形県庄内の生まれのようですが、掲載してある祖父の写真は、まさに、外人。

 彼女のルーツも、縄文時代、日本に渡って来た源ヨーロッパ人かもしれませんね。