竜安寺石庭での煩悩

残暑厳しと言えども、朝夕の涼しさと庭の鈴虫に、秋の訪れを感じる京都。
おセンチになったら、竜安寺の石庭での物思いがいいですね。


1975年英国エリザベス女王が石庭を訪れ、「私には分からないわ!」と仰せになりましてから世界的に有名になったとの事です。

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私が初めてここを訪れましたのが高校二年の修学旅行。

以降、何度かここを訪れ、昨年秋も来たのですが、この庭を理解出来ませんでした。

誰もが素晴らしいと言うから、私も素晴らしいと思うのが本音ですしね。







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石庭の裏側にある「知足の蹲踞(つくばい)」も単にながめただけでしたね。


でも、改めて、ちょっと視点を変えてながめますと、パンフレットに書かれている意味が理解出来そうです。

蹲踞に刻まれている四文字「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)とは!

悟るとは「人間は常に足りない存在だけれども、それに満足」なのですね。






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改めて、蹲踞から石庭に周り、では、十五の石がどの位置からも十四個で、一個足りない意味とは。

つまり、完全とは十五夜のように十五。一個が欠けた不完全なるものが日本の美なのですね。


不完全なるものをながめて、その美しさを感じる。
『禅の美』であり、無欲・無心の「無の心」で初めて感じる美しさ。

換言すれば、無の心境になって初めて庭が私に問いかけてくるものなのですね。






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では、完全の十五とは、この石庭に面している方丈の間からのみ見えるのです。

この部屋には、悟りの人しか入れないのです。





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創建当時は、広大な境内。この石庭の向こうには、仁和寺五重塔、そして、京都の南端の更にその向こうの男山(八幡市・岩清水八幡宮がある)が遠くかすかに見えたのだそうです。




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その光景をイメージしながら、境内の鏡容池(きょうようち・池泉回遊式庭園)を散策。

更に、先程の石庭と、山口市の常栄寺の「雪舟の庭」(枯山水)を思い出しながら。




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池の畔には、彼岸花がやけに眩しい。




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陽が傾き初めたのどかな嵯峨野を見渡しながら、いまだ「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)に至らず、「無の心」になれない自分を覚えるのでした。
                            (写真は、嵯峨野の案山子)

                          おしまい