俳句の祖・山崎宗鑑屋敷跡と芭蕉
◆ ◆ ◆
他方、フリー百貨辞典『ウイキペディア』で「関大明神社」を検索すると、上記場所とは違って、この関大明神社の「門前、道を隔てた北側に伝山崎宗鑑屋敷跡碑が建つ」と述べられている。
(写真は、右の建物が関大明神・中央に国境碑・左が道を隔てた北側の天ぷら屋の三笑亭)
この石碑は北側である三笑亭の左横にあり高さは70cm程。
何と書かれているのか私には読めない。
何と書かれているのか私には読めない。
「うずききて ねぶとに鳴や 郭公」 |
この句は、一種の掛詞となっている。
一つ目の解釈は、「卯月がきて太い音で鳴くほととぎす」
もう一つの解釈は、「ねぶと(腫瘍)が疼いて泣いているホトトギス(荒木田守武)さん」
◆ ◆ ◆
説明2)他方、この資料館の説明とは異なる話しもある。(芭蕉全句鑑賞 田中空音より)
痩せて足もよろける宗鑑が、池の杜若を取ろうとするのを近衛公がからかって詠んだ句。
「宗鑑が 姿を見れば 餓鬼(がき)つばた」
この句に対して宗鑑が「飲まんとすれど夏の沢水」と付けたという。
どうやら、後者の方に信憑性がある。
他方、宗鑑は書家(宗鑑流)として奔放な書体である。
「風さむし 破れ障子の 神無月」 |