阪急大山崎下車の谷崎潤一郎

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作者・谷崎潤一郎は、阪急電車(当時 新京阪電車大山崎駅下車。
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谷崎が、何故、ここに来たかと言うと、若かりし時、「増鏡」を読んだ時から、水無瀬の事が頭から離れなかったのである。
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後鳥羽上皇の歌「見わたせば山もとかすむみなせ川 ゆうべは秋となにおもいけむ」を読むと、
水無瀬川の川上を見渡した情景が、趣のあり、他方、温か味のある懐かしいもののように彼の脳裏に浮かんでくるからである。


イメージ 2そこで、大山崎で下車し、徒歩で水無瀬の方に、西国街道を歩む。
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少し行くと、道が二手に分かれる。
この交差点の右側の塀が、離宮八幡宮
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斉藤道三の国取り物語でも知られ、
当時、全国の油の基締めであった。


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この道の突き当たりを右にそして直ぐに左に曲がると、
そこには国境を示す石の道標が立つ。
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山城の国(京都)と摂津の国(大阪)との国境である。
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当時、この付近の道路沿いは、かやぶきの屋根。
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神戸方面の阪急沿線で見る西洋化した町並みを見ている作者にとっては、ひどい時代がかっているものに見えたのである。

そこで作者は、改めて「大鏡」のある一節を思い起こす。


「君がすむ宿のこずゑのゆくゆくと隠るるまでにかへりみしやは」(拾遺351)

実は、菅原道真公が、配流の道すがら、ここ、山崎で仏門に帰依。

そして、ここから船に乗り、都が遠ざかっていく寂しさをこの歌に詠まれたのである。
何度も、何度も、船の上から、京の都を振り返ったことでしょう。