★新春、後鳥羽上皇を想う

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私の歌集より



      ★   「 常ならずも 敗れし御門(みかど)の残せるは
                          歌と歴史と小さな社(やしろ) 」



敗れし御門とは、後鳥羽上皇の事で、平安末期から鎌倉初期にかけて在位した第82代天皇です。


平家物語』では、有名な「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」と始まっていますね。
鴨長明の随筆『方丈記』の冒頭では「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と書かれています。

いづれも、変化しないものは無い!と言っているのですが、それにしても、戦いでの敗者の方には厳しい運命が待ち受けているのですね。

平安後期、国家予算の大半を注ぎ込んだ水無瀬離宮の地の今は、駐車場・田んぼ・住宅になっており、跡形も無いのです。

芭蕉流に言えば「つわものどもが 夢のあと」でしょうか。







承久三年(1221年)5月14日、後鳥羽上皇は、時の執権北条義時追討の院宣を出し、「承久の乱」を起こしましたが、幕府の大軍に完敗。後鳥羽上皇隠岐島隠岐国海士郡の中ノ島、現海士町)に配流され崩御されました。


後鳥羽上皇の偉業の一つに『新古今和歌集』があります。同集の編集にあたっては、嵐山の小倉山に住まわせた藤原定家を、度々、水無瀬離宮に呼び、院自身が撰歌、配列などにも深く関与しました。


水無瀬神宮とは、後鳥羽上皇崩御になる前、水無瀬信成親成父子に、左右の御手掌を捺した御置文を下され、永く後生の菩提を弔うべく仰せ下されたので、上皇の御影を奉安して、御慰霊申し上げるために、この離宮跡近くに建てた聖廟です。(写真は今年07年元日の水無瀬神宮