鵜殿の葦は風任せ
私の歌集「水無瀬一人首」より
「 見渡せば 鵜殿(うどの)の葦(よし)は 風任せ
何処(いづこ)に消えたか 黄色の群れ群れ 」
五月連休から一ヶ月後の六月五日、堤防に上がると「鵜殿(地名)の葦の原」が青々と目に飛び込んできました。
あの連休の時の、一面に咲き誇った黄色い菜の花は、一体何処に消えてしまったのでしょう。
唯、空にひばりが鳴いて、菜の花に代わって、青々とした葦が初夏の風で波打っているのです。
参考)「土佐日記」では、紀貫之が、ここ鵜殿で一泊しています。
他方、芭蕉「笈の小文」?でも曽良と共に、水無瀬の手前のここ上牧(かんまき)で、かれぬい(御飯を乾かした携帯食)を食べたと記載されていたはずです。
近代では、谷崎潤一郎著作小説「蘆刈(あしかり)」の舞台は、鵜殿(地名)に隣接した水無瀬側の葦の原なのです。
05.06.05鵜殿の堤防にて
写真は、上が六月上旬の鵜殿の葦、 下が「ヨシ焼き(毎年二月下旬)」を待つ立春の葦
「 見渡せば 鵜殿(うどの)の葦(よし)は 風任せ
何処(いづこ)に消えたか 黄色の群れ群れ 」
五月連休から一ヶ月後の六月五日、堤防に上がると「鵜殿(地名)の葦の原」が青々と目に飛び込んできました。
あの連休の時の、一面に咲き誇った黄色い菜の花は、一体何処に消えてしまったのでしょう。
唯、空にひばりが鳴いて、菜の花に代わって、青々とした葦が初夏の風で波打っているのです。
参考)「土佐日記」では、紀貫之が、ここ鵜殿で一泊しています。
他方、芭蕉「笈の小文」?でも曽良と共に、水無瀬の手前のここ上牧(かんまき)で、かれぬい(御飯を乾かした携帯食)を食べたと記載されていたはずです。
近代では、谷崎潤一郎著作小説「蘆刈(あしかり)」の舞台は、鵜殿(地名)に隣接した水無瀬側の葦の原なのです。
05.06.05鵜殿の堤防にて
写真は、上が六月上旬の鵜殿の葦、 下が「ヨシ焼き(毎年二月下旬)」を待つ立春の葦