来ぬ君待ちぬ
写句詩(うつくし・二句一行詩)
水無瀬晩秋歌④
『 来ぬ君待ちぬ 秋の夕暮れ 』
水無瀬の山の紅葉は、後鳥羽上皇が隠岐の島に去ってから何度の秋を迎えたのでしょうか
藤原定家が、後鳥羽上皇をしのんで、小倉百人一首を編集しました。
百人一首を並べると、ここ水無瀬の自然の光景となるのです。
それ程に、定家は、後鳥羽上皇を慕っていたのですね。
〈写真は12月5日午後四時の水無瀬の裏山の白鷺です〉
この裏山の小さな里に住み着いています。はぐれ鳥のようです。
時々、この山を越えて、淀川の中洲を往復します。
その時は、目の前を優雅に飛んで行きます。
その昔、水無瀬離宮のある頃も飛んでいたでしょうね。
京都の宇多野の里では、ひらりと幾羽も舞っていますね。
私が、京都・山科にに住んでいた頃は、一面田んぼの中、飛んでいました。
今は、勧修寺で見ることが出来ます。
水無瀬晩秋歌④
『 来ぬ君待ちぬ 秋の夕暮れ 』
水無瀬の山の紅葉は、後鳥羽上皇が隠岐の島に去ってから何度の秋を迎えたのでしょうか
藤原定家が、後鳥羽上皇をしのんで、小倉百人一首を編集しました。
百人一首を並べると、ここ水無瀬の自然の光景となるのです。
それ程に、定家は、後鳥羽上皇を慕っていたのですね。
〈写真は12月5日午後四時の水無瀬の裏山の白鷺です〉
この裏山の小さな里に住み着いています。はぐれ鳥のようです。
時々、この山を越えて、淀川の中洲を往復します。
その時は、目の前を優雅に飛んで行きます。
その昔、水無瀬離宮のある頃も飛んでいたでしょうね。
京都の宇多野の里では、ひらりと幾羽も舞っていますね。
私が、京都・山科にに住んでいた頃は、一面田んぼの中、飛んでいました。
今は、勧修寺で見ることが出来ます。