これが事実:朝鮮人炭鉱夫の処遇
今回の新聞記事は、徴用工処遇に関しての間接的資料です。
朝鮮人鉱夫は、高給を得て半島家族に仕送りをしました。
日本企業は韓国から撤退せよ 2018/11/2(金)
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徴用工:真実は国家の最大の敵 2019/6/11(火)
落星台経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員の実態調査
徴用工問題で新たな展開としての勇気ある韓国落星台経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員に敬意を表します。
今回の新聞記事に掲載された炭鉱の所在地
大阪朝日・南鮮版 1940/05/28
(参考)
日本炭礦は昭和十二年一月・日本化学工業、同年五月・日産化学工業、同十八年四月・日本鉱業となり昭和二十年七月再び日本炭礦となった。昭和十年頃から終戦迄は我国は日華事変につぐ太平洋戦争で医師は相次いで応召し、当病院でも前記諸氏の着任にも拘らず医師不足、物資不足の状況が続き非常に苦しい時代が続いた。昭和十三年から十四年頃には当炭鉱にも朝鮮人労務者が沢山入山していたので、病院でも朝鮮人医師桂範淳氏及ぴ朝鮮人看護婦数名が勤務していたこともある。
日炭中央病院の歩み---(抜粋)---院長・土井滋 『遠賀中間医師会六十年史-S.44-』より
朝鮮人鉱夫に特別の優遇設備
まるで旅館住まい同様
昭和14年-日産化学工業・遠賀鉱業所・第二高松炭鉱近代的社宅の一部と大浴場
昭和14年-日産化学工業・遠賀鉱業所・第二高松炭鉱の第一斜坑 (揚炭ベルトコンベア)
破格の高収入を得られる故に日本本土への密航者続出
韓国:虚偽と火病の民族性 2019/7/10(水)
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