中国:自国民、異民族共に虐殺


中国で六四天安門事件知っている人は僅か20%に過ぎない。それだけ報道規制が敷かれていた。だが、このことは中国だけの特殊な現象ではない。

今の日本のマスメディアはどうであろうか。表面的には日本では自由に報道していると思っているかもしれないが、そう思っている人は無意識のうちに完全に洗脳されている。先進国での報道の自由度では、日本は当に下位なのである。

更に、バカ番組やお笑い番組、クイズ番組で思考回路が作動しないように仕向けられているのみならず、ニュース番組では、くだらんどうでもいゝ事をさも重大事如きの取り扱いで、肝心な報道をしないか、してもサラリと済まし、市民には政府や中国・コリアンにマイナスとなることは伝えない。姿・形は違えど、当に中国・北朝鮮と同じである。

(追記)奇しくも上記日本のマスメディアNHKの実態を証明する報道があったようだ。

NHK天安門事件解説の不謹慎
6/4(火)
(一部抜粋)
NHKの番組が天安門事件カリカチュア化して放送。番組で惨劇への鎮魂や追悼の姿勢一切見られず。民主主義や人道主義に基づく非難や糾弾も感じさせず。
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この6月2日夕方、NHKのテレビ番組をみて、唖然とし、憤慨を感じた。天安門事件をアニメふうに戯画化して、登場するタレントふうの若者たちにゲラゲラと大笑いさせていたのだ。NHK総合1午後6時05分~ 午後6時42分「これでわかった!世界のいま 天安門事件から30年当時の学生たちはいま」という番組だった。

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BBC1)
天安門事件から30年 中国が忘れた映像
2019年06月3日
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中国で1989年に起きた天安門事件では、軍によってデモが鎮圧された後に1人の男が戦車の前に立つ映像が、世界を駆け巡った。

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だが30年後も、中国当局は国民の記憶から事件をかき消そうとしている。

その努力がどれだけ効果を生んでいるのか、BBCのジョン・サドワース記者が北京の街角で「戦車男」の映像を市民に見せ、話を聞いた。

1989年4月、100万人を超える学生や労働者たちが民主化を求め、北京の天安門広場を占拠。約1カ月半にわたって抗議デモを繰り広げた。

このデモは中国各他の都市や大学に拡大。共産党による独裁体制の打倒やインフレ対策、賃金の上昇、住宅事情の改善などを求めた。

6月3日夜、天安門広場に軍の戦車と部隊が出動。4日朝にかけて、武器を持たないデモ参加者たちに向けて発砲し、多数を殺傷した。

当局は後日、発砲による死者はゼロだと説明した。

中国政府はこれまで、デモ参加者の死者数を明らかにしていない。だが、天安門事件の死者は数百~数千人に上ったと言われている。

BBC3)
英国で新たに公開された外交文書によると、中国当局民主化運動を弾圧した1989年の天安門事件で、中国軍が殺害した人数は少なくとも1万人に上ると報告されていることが明らかになった。

一連の光電はこれまでロンドンの英国立公文書館で保管されていた。10月に機密指定が解除され、香港のニュースサイト「香港01 」が閲覧した。

ドナルド大使によると、情報源は事件以前から信頼できていた人物で、「事実と憶測と噂を慎重に区別」していたという。

大使は当時、「学生たちは広場退去まで1時間の猶予を与えられたつもりでいた。しかし、5分後に装甲兵員輸送車(APC)が攻撃を開始した」と書いている。

「学生たちは腕を組んで対抗しようとしたが、兵士たちを含めてひき殺されてしまった。そしてAPCは何度も何度も遺体をひき、『パイ』を作り、ブルドーザーが遺体を集めていった。遺体は焼却され、ホースで排水溝に流されていった」

「負傷した女子学生4人が命乞いをしたが、銃剣で刺されてしまった」

ドナルド氏は、「国務院委員の一部は、内戦勃発の危機が迫っていると考えていた」と付け加えている。
天安門広場の抗議デモは、軍の派遣まで7週間続いた。共産主義国家・中国にとって、史上最大規模のデモだった。
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中国の歴史と実態は、本人が気づいていない可能性があるが、テレビゲームオタクの若者の方が知っているかも。例えば『三国志』のゲームで、中国の戦国時代の歴史に多少とも触れるからである。(註1)

今、中国は尖閣諸島→沖縄を狙い、いつでも戦争体制にある。

これは南シナ海での中国の根拠なき領有権の強奪でも示されている。(註2)

今回は、中国の歴史と昨今の状況の記事を抜粋する。長文で1ページから6ページあるが、そのうちの1ページ目である。

ここだけでもご拝読し、中国とはどういう国なのかの改めての認識を期待す。

戦争と殺戮ばかりの国・中国

黄文雄(評論家)
徳間書店『世界に災難をばら撒き続ける 中国の戦争責任』より》

戦争がない時代はなかった中国
中国ほど戦争をしてきた国はない。また、自国民を含めた殺戮を行ってきた国もない。

 共産主義の中国になってからでさえ、チベット侵攻(一九四八─一九五一)、中印戦争(一九六二)、中ソ国境紛争(一九六九)、中越戦争(一九七九)を行い、加えて南シナ海東沙諸島西沙諸島を略奪し、現在は南沙諸島を自国領土に編入しようと目論んで、フィリピンやベトナムと衝突を繰り返している。

共産党黒書』(ステファヌ・クルトワ、ニコラ・ヴェルト著、恵雅堂出版)によれば、二十世紀において中国の共産主義によって犠牲になった人々は六千五百万人にのぼるとされている。

 しかし、それはなにも二十世紀にかぎってのことではない。台湾の歴史家であり作家でもある柏楊(はくよう)氏は、中国史上「戦争のない年はなかった」とまで言っている。

 中国はそもそも、歴史が連続した国ではない。現在の中華人民共和国は一九四九年の成立だが、その前は清朝であった。中国は秦の始皇帝による統一から、易姓革命(皇帝の姓が変わる、つまり王朝交代)を何度も繰り返してきた。元、清のように異民族によって支配された時代もあった。

万世一系」の日本人にはわかりづらいかもしれないが、易姓革命ということは、まったく違う国に取って代わられるということだ。それは改革でも変化でもない。だから「革命」という言葉が使われる。

 王朝交代時に戦乱を伴うのはもちろんのこと、謀反や反乱、内乱、農民蜂起などが日常的に頻発しており、そのため中国は「一治一乱」(治めたと思えばすぐに反乱が起こる)だと言われてきた。

 太古から資源や領土の奪い合いを繰り広げてきた中国は、現在もなお、他国領土に対する侵略を続けている。東シナ海南シナ海での中国の身勝手な振る舞いはその典型である。

 もちろん戦争は一騎討ちから総力戦に至るまで、戦争の型はさまざまである。後述するが、唐の玄武門の変のように兄弟の戦争から、明の靖難(せいなん)の変の叔父と甥、漢の武帝と皇太子との長安の都での親子の決闘もある。無辜の「難民」も出る。

 私の小学生のころに国共内戦後に追われた中国から数十万人の難民と学校の教室を生活の場として共有共生したこともあった。決して遠い昔々の話ではない。

 自国民虐殺だけでなく、異民族虐殺も中国では現在進行形の「犯罪」である。

儒教の国である中国では、中華の民とそれ以外の民を厳しく峻別(しゅんべつ)してきた。中華以外の国は夷狄(いてき、未開の野蛮人)であり、獣と等しいと考える。そのため獣偏や虫偏をつけて「北狄」「南蛮」などと呼んできた。

これを中華の徳によって文明人に変えることが「徳化(王化・漢化ともいわれる)」なのである。そして、儒教の発展理論である朱子学陽明学では、天朝(中華の王朝)に従わない異民族は天誅を加えるべしという論となり、正当化されている。

 十九世紀末から現在に至るまで延々と続くイスラム教徒(ウイグル人)の大虐殺、十六世紀の明末から十九世紀の清末に至るまでの西南雲貴高原の漢人による少数民族のジェノサイド、辛亥革命後の満洲人虐殺、
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通州(つうしゅう)事件(註3)などの日本人虐殺、人民共和国時代の文革中の「内モンゴル人民革命党員粛清」に象徴されるモンゴル人大虐殺、チベットに対する数百万人の虐殺と文化抹殺、台湾人に対する二・二八大虐殺など、近代中国人によって行われた民族浄化の大虐殺……近代中国では、こうした人類に対する犯罪がまかり通っているのである。

(2ページ目)
 後述するが、こうした異民族に対する優越意識、さらにはすべて自らが世界の中心であると考える中華思想が、現在の中国においても、かつての王朝が統治していた場所のみならず、「歴史書に記述があった」くらいの場所までも、すべて自分たちのものだと主張する大きな要因となっている。

 だが、これらについてはまったく根拠がない。後の章でも詳しく説明するが、それについて簡単に述べると、(以下省略)

                   つづく
(註2)
(註3)
通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)-日本人皆殺しの地獄絵-』