超堅物部長宅訪問/新築購入方法


超堅物部長宅訪問/新築購入方法

余談ですが、話が一気に1976年(昭和51年)に飛びます。

この年にロッキード事件が起き、時の田中角栄首相が、米国の意向に反し、石油の直接調達と中国との国交回復をした故に、米国政府(キッシンジャー国務長官)にはめられ逮捕されました。

ジェット旅客機「トライスター」「DC-10」「ボーイング747」の選定に関し、田中首相ロッキード社の「コーチャン副会長」から多額な賄賂「ピーナツ・ピーシーズ」を受け取ったとし、1976年(昭和51年)6月衆院ロッキード問題に関する衆院調査特別委(田中伊三次委員長)で証人喚問が行われました。

登場したのが「檜山広会長(丸紅)」「大久保利春専務(丸紅)」「小佐野賢治国際興業社主)」「大庭哲夫元社長(全日空)」「若狭得治社長(全日空)」「シグ・片山(CIA関係者)」などで、市民の大半が生中継のテレビに釘付けとなりました。

 私がある事情により美園社を去り、東京に在住していた私が京都に出張した際、吉岡さん(美園社)宅に寄った日曜日のこと、大津に行こうというので彼の車に同乗しました。

行き先は、私の履歴書『京都商人の真髄』に登場するある上場企業の堅物経理部長の大津の南郷の自宅です。

京都商人の真髄
^^^^^「難攻不落企業の攻略法」の実践でした。

田んぼの向こうに堅物部長の住居する集落が見えた頃、吉岡さんは、「あれは刑事だ」「あのアベックも刑事だ」と、電柱やもの陰に隠れるように立っている二人連れの三組を指しました。

実は、この堅物部長がロッキード事件の裏金ルートに関与していたとして南郷の自宅を刑事に見張られていたのです。

我等二人は躊躇することなく彼の自宅へ上がりました。
彼はよく来てくれたと歓待してくれ、マスコミで報道されてからこの自宅を訪問したのは我等だけで、ほぼ軟禁状態に近いと嘆いていました。

当時の話をもう一つ。
吉岡さんは山科駅から徒歩10分ほどの借家に浅井のばあちゃんと同居していました。当時、山科大塚エリアで建売住宅販売が盛んな時期のことです。

吉岡さんは貯金通帳を私に見せながら2300万円~2700万円の新築の建売住宅を現金で買おうというのです。

傑作なのは、それまで毎年の青色申告の時、私の随行でよれよれの姿にて税務署に行くのです。彼のそのよれよれの姿とは、溥い髪の毛をもみくしゃにした禿げ頭で、手に持つ小汚い帽子とジャンパーはいかにも古びた物です。

それらは確かに古いものですが、合算すると、当時の大卒の初任給の数倍はした外国製の代物なのです。

そして「年寄りの面倒を看ており、仕事もこの年ですし、日雇いしかなくて」とぶつぶつ呟(つぶや)くのです。

税務署担当官の「そうか、じゃ、年間収入はこれ位か?」 と。
彼は、「いやいや、そんなにありません。やっと食うだけです。」と剥げ頭を撫でます。

すると、担当官は、すらすらと数字を書き込み、彼はその書類に捺印。で、一件落着。

これが毎年3月の行事なのです。無論、彼は所得税と称するものは、その7年前から払った事が無いのです。

その彼が現金で建売を買うと言うので私は待ったをかけました。

税金を一銭も払っていない者が即金で家を買うとなると万が一税務署に目を付けられたら金の出所を問われかねない。ここは銀行に相談し、銀行に定期預金をし、それを担保に銀行借入し払ったらどうかと提案しました。

彼は早速銀行に相談し、銀行借入の形で家を購入しました。


※ 私の履歴書 20歳代編 目次