元日の初詣は八坂神社へ


元日は、水無瀬駅から午前10時前の阪急電車に乗り、河原町下車。四条大橋からの北山には若干の積雪が眺められました。

イメージ 6

処が、橋の下を見下ろすと、何と、大晦日の夜から元旦にかけて土手で飲食したらしく、ゴミは放置されたままです。

イメージ 7

更に四条大橋の東詰めにも空き缶やペットボトルなどが散乱。

イメージ 8

四条大橋から八坂さんまでの四条通り歩道でも、ジュースなどの紙コップなどのゴミが散乱していました。

酔っ払った若者が犯人かと思いきや、アルコール類のゴミは四条通では皆無。と言うことは、十代後半の者達、或いは、ヨーロッパの観光地でも問題になっていた渡来人なんでしょう。

それにしても東山地区四条通の商店街では、年明けの未明から早朝にかけて掃除をすることが習慣になっていないことに改めて驚かされましたし、特にこの街のこの姿勢には落胆せざるをえないのです。

さて、

西桜門(四条通り側)をくぐりました。

未明のをけら詣でも終わっているから空いているだろうと思いましたが、やはりそれなりの初詣の人たちがいっぱいいました。


進むはチンタラ。

本殿。思っていたより人が少ない。やはり晦日の深夜から元日の未明にかけての騒動が終わったひと時の静寂かも。


手水(ちょうず)


着物姿はあちゃらの観光客や渡来人が大半だけれど、手水(ちょうず)に近ずく歩行の姿にオーラが漂う女性を見かけておやっと思いました。


二人連れの彼女らは、参拝の手水の手順通り、しなやかに行っています。やはり日本の若き女性二人です。恐らくお花やお茶の習い事をしているお二人さんでしょう。この時程、晴れ着姿の日本の女性の世界に類例なきおしとやかさを感じたことはなかったですね。

本殿で参拝。「5日のパカパカ京都金杯を含め、メインレースの1着から3着の馬番をお知らせ下さい」とお願いしました。

50年前の本殿の鈴は、一段と大きなものが一個だけで、その鈴を鳴らそうと皆が目指し、争い、大混乱したものですが、それがいつの間にか普通の大きさの鈴三個になり、そして元日はその鈴も紐で結わえられ、鳴らせないようになっていました。


初詣の参拝も済み、マンマは破魔矢(はまや)を購入し、息子はおみくじを引きました。吉でした。処が息子がおみくじを結わえようとしたところ、神社の人がゴミ袋に何か詰めています。


それは皆が結わえたおみくじを手で紐から引き抜いてゴミ袋に詰めているではありませんか。

確かに引いたおみくじは不用なものには間違いないけど、この現場を垣間見ると、ため息が出てきます。ゴミ袋ではなく、せめて何らかの神社の紋章などのある袋とか箱に、それも紐のままに入れて欲しいものです。
イメージ 1

舞殿と能舞台
元日は閉まっていました。

(舞殿参考)
ここ舞殿では、毎年、正月、NPO法人・日本伝統芸能団主催『奉納の舞』が行われます。ここでは更に春と祇園祭の計三回、舞を奉納します。


この画像は2007年4月の春の奉納の舞のもの
イメージ 2

イメージ 3
奉納舞 2007年

能舞台参考)
他方、ここ八坂神社の能舞台では正月3日、午前は「初能奉納」、午後は新春恒例の「かるた始め式」があります。

初能奉納
イメージ 5

初能奉納は毎年1月3日に行われています。初能奉納では各年交代で、金剛流観世流の家元による能・翁(おきな)と仕舞(しまい)が能舞台で奉納されます。
初能奉納 2013/01/03 八坂神社

かるた始め式
日本かるた院本院が主催し、毎年「和歌の神」ともいわれる祭神・スサノオノミコト百人一首の手合わせを奉納しています。(ユーチューブ)毎日新聞2016/1/3
イメージ 4

初詣の参拝も終わったので、それから南桜門をくぐって昼食を予約してある所に行きました。


                            
つづく

【八坂神社参拝者必読】
八坂神社にはご利益いっぱい
祇園さんにたーんとお参り

八坂神社は、全国の八坂神社や素戔鳴尊(すさのをのみこと)を祭神とする約2300社の総本社。656年に、高麗から来た使節新羅の牛頭山に座した素戔鳴尊をこの地にお祀りしたことが起源という説が有力です。

素戔鳴尊のほか、妻である櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、
8人の子を示す八柱御子神(やはしらのみこがみ)がご祭神として鎮座しています。

本殿のほかに、縁結びや方位除け、美人祈願や商売繁昌など、さまざまな利益に通じた神様を祀る境内社が16も点在しています。