守口市文化センターの句碑
ブログ友の、
「守口の京阪デパート南隣の文化センター(エナジーホール)にある石碑です。植栽が濃いため、作者や結末の句が見えなかったのは残念でした。」
とのことなので、守口市役所に聞きましたら、以下のメールで、その句と作者、並びに4枚の画像を送ってくれましたので掲載します。
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① 「藁塚や 河内国原 年豊か」
作者 守口市民俳句会 河野城山
(注)川野城山氏をネットで検索するも、何も出てこず。
② 「秋天に 女神の像の 位置さだまる」
作者 早春守口俳句会 萩野祭翁
(注)萩野祭翁氏で検索してみると、献上された本なら何でも収容する国立国会図書館デジタルコレクション - 早春賞受賞作品として、著作「宋斤遺句集頒布に就て」という題名だけ。早春というのはどうやら守口俳句会の俳誌。これ以外、何もない。
ブログ友の記事のコメント欄に、「何のための碑文なのか?」とありましたが、そこまでは聞きませんでした。私は昔の著名な俳人の句碑だと思っていましたからです。
それにしてもこの句はどう情景を想定しても、・・・。
この両名、何者なんでしょうね。
エナジーホールの庭の中に、誰でも石碑を建てれるの?
(一般的句碑の例)
「うずききて ねぶとに鳴や 郭公(ほととぎす)」
この句は、一種の掛詞となっている。
一つ目の解釈は、「卯月がきて太い音で鳴くほととぎす」
(追記1)2018.03.28
石碑建立費用例
(追記2)2018.03.30
『『百人一首』を足蹴にする企業』 2007/1/8(月)
任天堂のやったことは、単なる客寄せパンダ。修学旅行相手に過ぎない。後鳥羽院を慕う藤原定家の想いなどは、微塵も無いのである。例え、液晶にしても、和歌の札を足で踏ませる感覚が理解不能である。それとも天下を取ったという雄たけびの声を婉曲的に表現したのか。
■任天堂、やることはヤクザもどき。
せめて藤原定家の庵である小倉山の常寂光寺周辺や、定家の描いた情景である後鳥羽上皇の水無瀬離宮のあった大阪府島本町に百人一首の歌碑の建立なら話は判る。それが無縁の地の嵐山とその周辺に、文化庁の異論にも拘わらず、金とごりおしで百人一首の歌碑を建立したのである。
大半の歌が嵐山にゆかりがないため、歌碑建立地とのゆかりが必要とする文化財保護法に触れる恐れがあるというのが理由だ。事業を進める「小倉百人一首文化財団」(理事長、山内溥・任天堂相談役)は「何とか代わりの方法を考えるしかない」と計画変更を余儀なくされている。
(画像)