しめ飾りの運命は?


元日の午後、初詣は例年通り水無瀬神宮へ行きました。
午前は混雑し、並ばなきゃならないと思ったからです。

でも参道の両側の屋台では混雑して、人をかき分けなきゃ前に進めない。境内ではやはり午後だから並んでいなかった。

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と、思ったのが間違い。
お賽銭の間口は、これまでは一間程だったのが、左右に5間以上広げて、一気に30人以上参拝できるようにしています。
成程、これでは長蛇に並ぶまでにはいかない。
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本殿ではお賽銭と二礼二拍手一礼。
次は境内の南側で、順に春日神社→柿本神社→星阪神社→稲荷神社。無論、同じく各社にお賽銭に二礼二拍手一礼。

全神様にお願いしたことは例年通り。
「1月6日の中央競馬 『中山金杯』と『京都金杯』 の一着馬、二着馬、三着馬の各馬番をお知らせ下さい」

参拝を済ませてから、マンマが「破魔矢(はまや)」を買いに並ぶが、買わずに帰ってくる。お賽銭箱は間口を拡大したからいいにしても、「破魔矢(はまや)」を売る巫女さんが客をさばききれず、多くの人が並んでいるという。それで「破魔矢(はまや)」は諦め、東京の孫二人用の勉強のお守りを買ってきました。

それでか、水無瀬神宮までへの道すがら、すれ違う参拝してきた人たちが例年に比べ、「破魔矢(はまや)」を持っている人が妙に少ないと感じたのは。

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参拝を終わって、再度、屋台の人込みをかき分けて脱出。

帰路はブログ友Mr.さんがしめ飾りの掲げる度合のことを書いていたので、我らの町の状況を垣間見て歩きました。

神宮傍の恐らく農家の集落ではしめ飾りはほぼ100%。ここ数年の新築住宅、マンション、古い住宅地では10%前後。借家では皆無。国旗掲載はゼロ。

知人の家での今年のしめ飾りはありません。昨年、不幸があったのか、それとも、昨年奥方が仕事を辞めているから、そのせいか。

国旗掲揚は、外来渡来人の主導による右翼の街宣で消えたが、あと10年もしたら、農家から人けが無くなり、しめ飾りも半数は消えていく運命にあるでしょうね。


(追記)
日本は1000年以上「神仏習合」の時代で神社もお寺も一緒でした。処が明治時代、神仏分離令で、神社と寺とに分けたのです。

ですから、神社もお寺も亡くなった人を奉っており、神社の場合は神様、お寺の場合は仏様ですね。

神社の特徴は、不遇の死(殺された等)を遂げた方等の恨みを鎮静化するために建造した場合が多いでしょう。例えばご存じ天満宮(天神様)の祭神は菅原道真公。出雲大社大国主大神(“だいこくさま”)。ここ水無瀬神宮後鳥羽上皇です。

尚、『日本書紀』や『古事記』が描く歴史は、これらが作成された時の権力者によって、権力者に都合よく書き直されたものですから、この当時からの祭神については何とも言えません。

(参考)
2017年元日水無瀬神宮初詣
2016年元日水無瀬神宮初詣