昭和天皇:英国正規陸軍元帥


昭和天皇が、英国正規陸軍(ガーター騎士団の元帥であったことから、昭和天皇の戦前→戦中→戦後の動きに関して疑義を抱く見解がある。

特に、東京裁判で何故に絶対的権力保持者の昭和天皇は何も問われなかったのかである。そして天皇は象徴として存続した。

そこで、昭和天皇ガーター騎士団元帥に関しての英国での簡略な記事があったので、その意訳を以下に掲載する。尚、今上天皇に入内した美智子妃がカソリックであることの元は、英国との関係にあるかもしれない。

(参考)
昭和天皇と広島・長崎の原爆』


At the beginning of WWII, the highest rank in the British army was held by… Emperor Hirohito   (The Vintagenews)

第二次世界大戦の初め(1939年)、英国正規陸軍の最高位(元帥)は、裕仁ヒロヒト昭和天皇

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ロシアの中国への影響力の高まりを懸念した英国と日本は、1902年日英同盟を締結。

この条約は、欧州問題への関与が最小限の外交政策である英国の孤立の期間を正式に終結させた。

同盟の相互防衛のための条項は、日本が英国側の第一次世界大戦に入るのを助長した。 然し、パートナーシップが両国で積極的に見られたとしても、一部、懸念はあった。

それは英国の植民地主義で人種差別主義的な考へに対し、日本は1919年ベルサイユ条約に人種差別撤廃の条文を追加するように要求する。英国はこの提案を米国と共に支持せず。

以降、日米間の競争が激しさを増していく。 遂に、1922年のワシントン海軍軍縮条約では、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの主力艦・航空母艦等の保有の制限が取り決められた。これにより日英同盟終結した。 

それは主力艦(戦艦と生まれたばかりの空母。巡洋艦は入らない)建造を10年間停止、保有比率を英・米各5、日本3、仏伊各1.67と定め、日本は劣位を受け入れることを余儀なくされた。

更に英国は、カナダとオーストラリアの圧力を受け、日本との対立が始まる場合に備えて、米国との提携を決断した。

日本はこれを軽視しなかった。英国の選択は、西洋人種差別主義のもう一つの現れと見なされた。以降の10年間、日本での反西洋異教徒恐怖症が大きく湧きあがった。

日本との同盟関係の解消により、日本がドイツやロシアに接近した事実を認識した英国は、勇敢な友情の究極的な政策を追求することに決めた。

それは、1928年、27歳の裕仁ヒロヒト)が昭和天皇に即位してから2年後、裕仁に英国で3番目に名高い記章を授けたのである。
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更に2年後、1930年6月27日、ロンドン庁は、裕仁天皇が英国正規軍(ガーター騎士団)の最高位であるフィールドマーシャル(英国陸軍元帥)の栄誉を称えたことを一般に知らせる短い記事を公示した。

(注)キリスト教徒以外では唯一天皇ガーター騎士団だった。(右の画像)フィールドマーシャルの記章

ジョージ2世が1736年に創設して以来のこのタイトルを授与したのは、若い裕仁を配慮してのことだった。

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10年後、イギリスは難しい立場に立たされた。日本がナチス・ドイツファシスト・イタリアとの三者協定に署名したからだ。

英国国王書簡局発行『季刊 陸軍将校リスト1941年10月号』に、日本のヒロヒト天皇は英国正規軍(ガーター騎士団)の陸軍元帥として掲載された。(注)今も歴代リストに掲載されている。

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然し、1941年12月、太平洋戦争が起こった後、英国は無条件に裕仁昭和天皇)の英国正規軍(ガーター騎士団)とその陸軍元帥の階級を剥奪した。

 1971年、ヒロヒト昭和天皇)が英国への公式訪問中、裕仁は再度ガーター騎士(Knight of the Garter)として復活した。 

(原文)
At the beginning of WWII, the highest rank in the British army was held by… Emperor Hirohito

The question of broken friendships is perhaps easier to answer when talking politics. State and imperial interests sometimes intertwine so much as to decisively oppose those who were once firmly on the same side. Years before the outbreak of WWII, Great Britain, and Japan formed exactly such a couple.

At the turn of the 20th century, UK and Japan used to be great empires on the opposing parts of the globe. Somewhere in the middle laid Russia, an underdeveloped imperial power eager to expand. Its decision to enter China disturbed UK and Japan, both worried about the outcome of the growing Russian influence in the region.
(以下省略)


(参考)

大正天皇(1879年(明治12年) - 1926年(大正15年))も英国正規軍(ガーター騎士団)の最高位であるフィールドマーシャル(英国陸軍元帥)のタイトルを持っていた。

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尚、フィールドマーシャルの歴代受章者は、ウィキペディアで次の語で検索。Field marshal (United Kingdom)

※『昭和天皇:戦前から米国の保護下』