『二十四の瞳』の映画村


『笑:広島のおばはんの突っ込み』の続編です。

新岡山港からフェリー乗船。
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日野正平のチャリンコ『こころ旅』の中で、通学するフェリーでのうどんが旨かったというお手紙があったので、我等も食す。
成程、確かに讃岐うどんのそこそこの味。

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直ぐに『二十四の瞳』の映画村へ。
然し、とにもかくにも寒い。

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壺井栄のベストセラー小説を2度映画化した松竹は、「昭和3年から終戦の翌年までの激動の時代、大石先生と教え子たちの師弟愛、幾歳月を経ても変わらぬ美しい小豆島の自然、貧しいさや古い家族 制度、戦争によってもたらされる悲劇と対照的に映し出した心温まる感動作です」とコメント。

大石先生を演じたのは、初代高峰秀子、二代目田中裕子、三代目黒木 瞳(テレビドラマ)、そして松下奈緒
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二十四の瞳』のあらすじ。

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ここのセットは、田中裕子や松下奈緒主演のときのもの。
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懐かしい。私達が小学校低学年時代学んだ教室そのものですから。特に秋田県直根村(ひたねむら)時代の入学前、小学校1年生の教室の廊下から、教室の最前席に座る可愛い『優子さん』に見とれていたもの。廊下から開いていた窓に肘をつきながら。

(当時のこと)
私の履歴書⑨可愛い女の子の気を引く方法 〈直根村時代〉

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   ◇   ◇   ◇

うちでも二十四の瞳の中での出来事と同様なことがありました。頭の良い優子さんちは当に貧農でした。優子さんが中学三年生のとき、卒業後は就職することになっていたのですが、それを聞いた母が優子さんちへ行き、経済的に高校に進学不能ならば、看護学校への進学を奨めました。それなら、病院に勤務し、給料をもらいながら勉強することが出来るからです。

そうして優子さんは、看護学校に行きました。小学1年以来、優子さんに会ったのは、私が40歳代前半だったと思います。その時の優子さんは、ある公立病院の看護部長になっていました。

   ◇   ◇   ◇

さてさて、息子の嫁を壇上に立たせてパチリ。
無論、気分は大石先生。
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寒かったですね。恐らく気温はせいぜい6℃~7℃。
それに半端じゃない強風。
外では記念撮影どころではなかった。

帰路途中、当時の小学校跡地がありましたが寄る気にはなれず。無論、マルキン醤油記念館売店に寄り、 しょうゆソフトクリームを食べる予定もパス。ホテルへ一目散。

翌朝のホテルの部屋からの景観。
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ホテルを出て直ぐに道の駅小豆島オリーブ公園で土産物購入。
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二十四の瞳』と醤油がどんな関係があるのか?
この並べてある壷井栄の原稿からは読み取れない。
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これ、自宅用土産。小豆島でしか販売していないごま油って、何がどう違うのか、未だ使っていないので不明。
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二十四の瞳とガイドさんの説明(映画撮影時の秘話)3分1秒

二十四の瞳』 仰げば尊し 2分36秒

二十四の瞳』 七つの子 4分50秒