❺果たしてこのままで推移出来るのか


私の履歴書50代東京編

❺果たしてこのままで推移出来るのか

下請け企業の好意から、ことは順調すぎるほど運んでいきました。そして残るは一軒(一企業)のみとなったのでした。

翌朝、私は午前8時前に工場事務所に出社。
伊田課長は既に社有車をアイドリングさせていました。

私、「今日の予定は?」
伊田課長、「その件は後で。車に乗って。早くラッシュの渋滞を抜けたいから」

車は京都南インターチェンジから東京方面の上り線に入りました。
彼の開口一番は、「部長、残るは3社のみです。」
昨夕、彼は帰社してから全部の下請けの社長に連絡を終わったのが午後11時過ぎだといゝます。

下請けの各社長には、私がA社で言った通りの口上を真似て、入院患者や高齢の入所者ためにパーツの製造や組み立てに力を貸して欲しい旨伝えましたら、大半の社長は同意してくれたそうです。

彼はその時の様子を得意げに話しました。
そして浜名湖を過ぎた辺りで今度行く企業の話を始めました。

その企業の所在地は京都南インターチェンジから350kmほどある神奈川県に近い富士市の郊外だったと思います。

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製品の本体の帽子になる部分の場合、小型・中型機の場合、生産台数が多いから、金型を作っており、ペレットを調達できましたから、一月中には納入してくれますが、大型機種の場合、台数が少ないこともありますが、強度の問題で、プラスチック成型ではなく、ガラス繊維を幾重にも貼り付けた手作りなのです。

処が、従来の下請けは事情によりこの秋、工場を閉鎖しており、新たな企業にこの帽子を作ってもらわなければならないのです。それが、これから行く下請け要請先なのです。

車はノンストップで走りましたから、腰が痛いのを我慢しつゝ、お昼前、ようやくその工場に着きました。

大きな敷地でした。一見、1万坪程ありそうです。その広大な敷地の中に、これまた大きな工場の建物が二つほどありました。

ガラス張りの事務所玄関を入ると社長が待ち構えており、そこで社長は立ったまま、工場の現状と、我が社が望む製品の仕様と寸法、作り方などを玄関ホールに飾ってある見本品に触りながら説明しました。

成程、前夜、伊田課長がこの社長に色々と仕様について説明していましたから、とんとん拍子に話が付きました。

それから工場を見に行こうと三人で外に出ました。空は真っ青で、日差しは暖かく、皆、一緒に空を見上げました。その時、お昼の休憩時間を終えるチャイムが鳴り、工員の皆さんが一斉に工場へ入って行きました。私は思い直し、次に訪問しなければならない企業があるからと言ってその場でおいとましました。

さあ、これで残るは二社。
再度、名神高速に上がり、今度は下り線で名古屋方面に向かいました。

愛知県に入って高速道路のインターチェンジを降りてから、地道をだいぶ走りましたから、恐らく、名古屋市の西の蟹江町津島市の郊外ではないかと思います。

アポ(面談予約)は午後5時ですので、この日は前日と違ってそこそこゆっくりと昼食をとりましたが、どんどんと雲が出てきて、二軒目の工場に着いた時には、うす暗くなっていました。

社長は真っ先に工場を案内してくれました。
ここも大きな建物で、松下の高槻工場や茨木工場や三菱電機の長岡工場とは遜色ないほどの大きさで、中階から見下ろす工場内では、何百人かの主におばさん工員が仕事をしていました。

その時、工場の恐らく部品担当責任者が、社長に報告書を持ってきました。

社長、「ウズマサさん、ようやくビスが見つかりました。あのビスは特殊なもので、今までの仕入れ先には在庫がなく、どうにかせよと朝に命じていましたが、全く同型で他のメーカーが作っているものを調達できます。」
そして、「これでパーツさえ揃えてくれれば組み立てられます。期限内までには大丈夫です。」

あまりにもトントン拍子に気が抜けた感じになりました。

「さあ、残るは1社のみ。」
この次のアポイトメントは午後7時。若干の余裕時間があるので道路沿いのレストランのような飲食店でお茶をし、ひと休みしました。

この店を出た時には、もう宵闇状態になっていました。

「この最後の訪問でも順調に事が進むに違いない。」
私たちは二人ともそう確信していました。

       つづく

(続編)
❻全員輝いた夜明け前