西巣鴨でのほうれん草と白子のはなし

私の履歴書50代東京編

北区滝野川の西巣鴨寮から白山通りを西に横切り、路地を南西に5分弱行くと、スパー(現、コモディイイダ滝野川店)や商店があり、そこへの途中では、戦時中、東京大空襲を免れた地元の農家が軒先で野菜を売っていた。

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(地図)google

ここでの野菜の価格は安いということで結構有名だったようで、郊外に住居する国家公務員OBが、この辺まで車で来たら必ずここに寄り、野菜を積んで帰るとのこと。

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(画像説明)道路左奥の空き地と駐車場になっている辺りに何軒かの農家と畑があった。左手前の商店二軒は当時のまヽ。(google

ある日のこと、スーパーで買い物を終えた帰路、農家の軒先でおばさんが、「ほうれん草二束で100円」と言う。ほうれん草は二束が更に一つの帯でにくくられているから、それだけで100円と思った。

200円を渡し、はいどうぞと受け取ったほうれん草は確かに4束と言えるのだが、普通のひと束を二つ、帯でくるんだのが農家のおばさんの言うひと束だったのだ。私の手元に普通で言う8束のほうれんそうが渡されたのである。

さあ、困った。どうしようか。
思い出したのがスーパーで売っている冷凍ホーレンソウ。

そこで帰宅するなり、ほうれんそうをゆがき始めた。
何しろ、インスタントラーメンを作るぐらいの鍋しかない。

このほうれんそうをゆがき終えるまで、鍋でお湯を10回ほど沸かし直し、終わった時は虚脱状態であった。

またある日のこと、スーパーの斜向かいに魚屋があって小皿で白子を売っていた。これは美味そう。スーパーの帰りに買おうと思ったのが間違いの元。

帰路に立ち寄ると、小皿のものは売れていて大皿のものしかない。
その皿とは平たいものの、優に直径50cmはある。

もう私の口の中は、白子をポン酢で食べるための唾液がそうとう出ている。
やむを得ず、この大皿の白子を千円で購入した。

帰宅しその日の夕食では待ちに待ったポン酢での白子。
だが、いっときに食べれる量は、ほんの僅か。

さてさて、この白子をどうさばこうかということになった。取り敢えず白子の具と同じく買ってきた野菜で鍋にし、これもポン酢で食べた。

そんなもんでさばけるものではない。
残りを小袋に分け、冷凍した。

以後、毎日白子では飽きるので、一週間に一度、乃至、二度、白子で鍋にした。高橋直子がオリンピックマラソンで金メダルをとった頃である。この白子を全部食べ終えるのに、二ヶ月弱を要したと思う。

日曜日の夕食は、このように周辺の商店にお世話になったが、金曜日や土曜日の夕食は有楽町であった。

何故かと言うと、競馬情報紙「競馬ブック、関西版」はコンビニや一般の駅売店では売っていなく、ただ一箇所、JR有楽町駅の売店だけ扱っていたからだ。

その土曜版や日曜版を買うために都営地下鉄三田線日比谷駅まで行き、そこから5分ほど歩いてJR有楽町駅前路上売店に通った。

当時、この駅周辺の飲食店は、ガード下のみならず、有楽町という名前では決して想像できない古い木造の大衆酒場だった。

恐らく、私と同じく単身赴任者か独身者であろう。年齢を問わず、男女を問わず、単独での飲食だった。

皆、食べるのを楽しむどころか、義務を果たすべく、かきこむように食べ、そして背を丸め店を出て行った。

その人たちを順次見送る形になるのだが、生ビールと熱燗でのんびりと夕食をとる私にとっては、置き去りにされたような空虚さを感じるいっときでもあった。


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