近衛文麿の犯罪の記事への註釈文
下記の記事文中への新たな私見註釈文のみを別途の記事にしました。
その前に、
近衛文麿の経歴
経歴 (文中、カッコの青文字は私が追記したもの)
ピクシブ百科事典より
また貴族院議員となり、西園寺の後継者として誰もが認めるようになっていった。 昭和6年に貴族院副議長、昭和8年には早くも議長に就任した。 時あたかも満洲事変が勃発するなど、昭和初期の動乱がまさに始まろうとする時期であったが、この時にあたって軍閥、官僚、政党三者の間にあって、彼の言う「空漠たる声望」により次第に政治の中枢へと駆り出されていった。
さて本題
(註1)(註3)
(註2)
全てとは、1941年12月9日の真珠湾爆撃の指令を出したのは昭和天皇であるということ。戦時中、昭和天皇は石油輸送船の大株主などで大儲けしたこと。終戦間際に天皇の財宝を潜水艦で、然も、連合軍に見守られながら、敵国の制海権の各地の港で給油し、南シナ海、インド洋、スエズ運河、地中海経由でイタリアへと輸送したこと。米国が原爆を広島・長崎に落とすまで全面降伏の日時を8月15日まで延ばしたこと等をも含む。
逮捕前日の15日、自殺を思いとどまるように説得を試みたと言う複数の証言(松本重治は二時間)があるが、その説得とは、自殺防止のためではなく、投獄中や東京裁判で天皇の戦争責任を免れるために本当のことを言うなという説得である。然し、近衛文麿はそれに同意しなかった。
それに「翌朝(16日朝)六時ごろ、千代子夫人が友さんを呼んで『やっぱりやりましたよ』と言った」とのことだが、自分の亭主が死んだのに、女房のこんな言い方は異常としか言いようがない。まさに他人事である。
そもそも強アルカリ性の青酸カリを服用すると、酸性の胃酸と反応(加水分解)し、発生した青酸ガスが血液中の酸化酵素と結合するため、呼吸困難に陥る。死因は窒息死。つまり青酸が吸収されるまでに時間がかかるので、この間、もがき苦しむこととなる。但し、血液は鮮紅色となるため綺麗な死に顔となる。
ここでの問題点は、15日夜、近衛文麿の隣室に寝たのが松本重治と牛場友彦である。隣室での近衛文麿の異常な苦しみの呻きが聞こえないはずはない。ましてや、彼らの弁によると、その夜、近衛文麿は自殺予告をしていたのだから尚更耳をそば立てていたはずである。
16日の朝、千代子夫人が穏やかに「やっぱりやりましたよ」と言ったのが事実とすれば、亭主が青酸カリを飲む時に同じ寝室で見届けたことになる。果たして時代が違うとは言え、亭主が自殺するのを沈着冷静に、寧ろ、自殺幇助までする女房がいるであろうか。
やはり千代子夫人は亭主が死ぬことを知らなかったし、千代子夫人の言葉も事実では無く、泣き伏したのが正解であろう。
改めて言うと、殺害方法は、深夜、酒に酔って熟睡している文麿の口に青酸カリを流し込んだのが隣室の松本重治と牛場友彦であるとしたら、つじつまが合う。
皆が帰ったのに、二人がわざわざ隣室に宿泊したのは、名目上、千代子夫人の同意を得、文麿の自殺見届け人として、とでも言いたいのであろうか。
では千代子夫人は何故に否定や反論しないかというと、亭主が薬殺された後、「もしも事実を喋ると、家族のみならず一族郎党全員を皆殺しにするぞ」と脅されたからであろう。
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