京都大学原子炉実験所と北朝鮮の核
ブログ友のぴよぴよさんの記事の転載です。
びっくりポンな内容です。
『京大原子炉実験所准教授は「拉致実行犯」の娘と結婚していた』 2017/3/20(月)
昨年2月に再入国禁止措置が取られたのは22名、その中で核・ミサイル技術者は5名。そのうちの一人、卞哲浩京都大学原子炉実験所准教授(註1)がその人物である。
(註1)卞哲浩とは、
1965年4月、神奈川県川崎市生まれ。登録上は、韓国籍。名古屋大学工学部卒業後、同大学院に進み修士課程修了。その後、京都大学大学院に移り、2000年にエネルギー科学の博士号を取得。2002年から京都大学原子炉実験所の助手となり、その後、准教授となった。
正面入り口は24時間警備員が目を光らせており、物々しい警戒ぶりだ。
この厳重な施設に自由に入れる人物が卞哲浩氏だ。
その卞氏の岳父に当たるのが、曺廷楽だ。
新潮45 3月号 福田ますみ氏より抜粋
「新潮45」3月号
(参考)
北の原爆開発者は日本が育てた、今でもメディアNG~元公安庁部長
(参考)
(余談)京大生の特徴とは
江戸時代、滝沢馬琴の記述によると、「およそ洛中半は皆妓院なり」であった。
それは、京都のあの狭い洛中に、64箇所も遊女町が有ったら、そう言えますね。
(馬琴「羇旅漫録1802」、「京都坊目誌」「京町鑑」)
と言っても遊郭の人気の場所は変遷していますし、すたれる街もあります。
決定的に洛中にダメージを与えたのが昭和32年の売春禁止法。
これで洛中から娼婦が去り、妓院や間貸ししていた民家は空き部屋だらけ。
この空き部屋の新たな賃借人は学生。
つまり、かって洛中を支えてきたのが「花の街・京都」の娼婦たち。
それが学生に代わったのですね。
無論、学生は部屋代での貢献のみならず、消費の面に於いても。
つまり、昨今の高齢化の街では『神さま、仏さま、学生さま』の復活ですね
『京大生を甘やかし過ぎた京都の街』 2008/6/20(金)
『京大生が木曽路や小諸を好きだった訳』 2008/6/21(土)