日韓併合時代の証言


GHQ(連合国軍総司令部 /SCAP) 幕僚部の部局の一つである『CIE』(民間情報教育局 Civil Information and Education Section) -)所属の日系人とのインタビューによると、共産主義者野坂参三が毎日CIEに来ていたとのこと。その下で創られた日教組。その日教組から学んだ私達の、そして今の児童の自虐史観。私達は本当の歴史を子供や孫に伝える使命があるのではないでしょうか。

『差別なき日韓併合時代と満州国2015/3/24(火) )の続編です。
大日本帝国時代、朝鮮人は差別されていなかった?=韓国ネット「デタラメだ」「うちの祖母は日本が大好き…」 Record China 3月23日(月)


「日本に感謝しています」~韓国人大学教授が語る日本統治時代の真実



(文字起こし)
日本統治時代を知る韓国人大学名誉教授にインタビュー
2014.10.14 | 歴史認識, 戦争体験

国をあげて反日運動を続けている韓国。韓国では、日本統治時代を肯定することはタブーとされています。しかし、韓国人のミン・ヒシク漢陽大学名誉教授は、日本統治時代を実際に体験し、日本に対し感謝していると言います。以下にそのインタビュー内容をお伝えいたします。

《日本に統治されて良かった》

もし、韓国が日本でなくロシアの属国になっていたら

年をとった人やインテリは、日本が韓国を占領したのを幸いに思っているんです。なぜかといえば、あのとき日露戦争でロシアが勝っていたら、韓国はロシアの属国に入るんです。するとどうなるか、韓国人でも勉強している人にはわかるんです。ロシア人が入ってきたらみんな捕まってシベリアに連れていかれて、ロシア人が韓国を盗ってしまうでしょう。そうなると韓国人は、日本人が統治した場合とは比べられないほど惨めな状況になる。インテリはそれを感じています。

当時、日本人による差別はなく、反日感情もわかなかった

日本統治時代には反日なんてまったくありませんでした。コメができたらちゃんと皆と同じく分けてくれたように、韓国人とか日本人といった区別や差別などなかったんですよ。それなので、生活にはあまり困らなかったですね。

《日本統治時代のエピソード》

日本人の学校と韓国人の学校とで喧嘩になった後

日本人の学校と韓国人の学校とで喧嘩になったことがありました。韓国人の先生たちは怖くなって「やめろ」「生活ができなくなる」と言い、級長だからという理由で、私が呼ばれ、ものすごく殴られて傷だらけになりました。そして日本人の学校へ行って謝りなさいと言われ、そのとおり学生を連れていって謝りに行ったら日本人のほうはどうしたかというと、反対に「おまえも日本人だ」と言って褒めてくれたんです。

今でも同窓会を開き、当時をなつかしんでいる

教育がもっと優れていました。先生は日本人で、ものすごく真面目に教えてくれました。今でも同窓会をしています。みんな日本統治時代をなつかしがっています。それが日本統治時代の事実なんです。

《戦後、韓国ではずさんな教育体制が30年ほども続いた》

私個人としては(日本統治時代には)ちゃんとした教育を受けたんです。勉強も自由にできました。ところが戦後は、教育がなっていない。(中略)
それで韓国語では30年間は誰も勉強ができなかったんです。
そういった時代があったことを韓国の今の若者は全然知りません。だから私が教えています。あの時代の話をしたら「おーっ」といって驚くんですよ。何の経験もないのに韓国の歴史の本を見てそれを信じてしまうんですね。だから今の若者は正しい歴史を何も知らないです。私が話すと初めて聞くという人がいっぱいいます。

《戦後、国をあげて反日運動を始めた韓国》

教授自ら反日感情のもとを分析

韓国人には、昔の文化が日本よりも優れていたというプライドがあるんです。それで日本にやられたことが悔しい、という思いがある。韓国が日本に、仏教やその他の文化を伝えたなど、いろいろなものがあるにもかかわらず、軽蔑されるのがたまらないんです。
戦後に反日になったんです。「日本に支配されたから、日本人をやっつけたら自分は偉い」という、そういう妄想というか、そういうものを持っているんです。

一部の人間が賄賂目当てに反日パフォーマンスでテレビに出る

竹島(独島)の問題に関してもそうです。命懸けで行って、日本の悪口を言ってテレビに出る人がいますが、そういう人が愛国者と呼ばれるんです。テレビに出たら英雄になるんですね。しかし実際の彼らは、賄賂をもらうことしか頭にないですよ。国のことなど考えていません。質の悪い人間が多いんですよ。
賄賂を与えているのは、一般的には野党が多いですね。そちらのほうが不満が多いんです。そういう人がたくさんいるから、みんな反日のように見えるんですよ。本当は日本に対していい感情を持っている人のほうが多いです。韓国でも、日本と仲良くしたほうが未来があると思っている人のほうが多いんです。

《植民地を解放した日本は世界的に感謝されるべき》

日本人の一番偉いところは、植民地を解放したことです。韓国は例外かもしれないけど、インドとかインドネシアの南のほうにとっては日本は恩人です。これは世界的に感謝されるべきものなんです。西洋人に支配されているときに、日本なしでは独立は不可能だったと思います。それは非常に感謝すべきことだと思います。

ミン・ヒシク名誉教授は、インタビュー中に何度も、あのときは差別はなかった、恨みなどもなかった、ということを繰り返しました。そして最後に、「日本が負けても精神的に国を愛する気持ちとか団結力とか、そういうものは世界的だから日本は滅びないという感じがしますね。日本が滅びることはないと思いますよ」とあたたかく語りかけてくださいました。(以上)


韓国の老人が語る日本統治の真実

12月2日付朝刊 読者投稿欄より(ネット上のソースなし)
"併合時代"の話を聞き感動  会社経営 辻本貴一 63

韓国・ソウルに月に二回ほど出張します。日本のメディアの過敏な報道のため身構えて韓国に出張しますが、韓国人と接するたびに、みなさん優しくて親切で当初のイメージとあまりにもかけ離れているのにびっくりしてしまいます。

ある韓国人の自宅へ食事に招かれたとき、その人のお母さん(75歳から80歳ぐらい)から韓国併合時代の話を聞いて、目からウロコが落ちました。

「日本の統治時代は生活が安定し、お互い親戚同士のような付き合いをしていた」

「特に学校の日本人先生には本当によくしていただいた。 先生が日本に帰るとき親も泣いて見送った」

「貧しくて授業料が払えない生徒からはお金を取らなかった」
「子供を学校に行かさない親には先生が説得に行った」
「誰もが教育を受けられるように学校をいっぱいつくった」
「学校では日本語を強制するのではなく、むしろ積極的にハングルを教わった」

お母さんの話を聞いて、感動で涙が止まりませんでした。戦後、韓国政府のとった反日教育と、それに共同歩調をとった日本の一部の人たちの罪は本当に大きいと思いました。

(ソース)

『僕が親日になった理由』
金智羽 


1967年韓国釜山生まれ。韓国東国大学(ソウル)卒業。卒業後、オーストラリアにて2年間留学.。その後、日本(東京)での2年間の留学生活を終え、一時帰国、再度約7年間日本在住。年数回韓国と日本を行き来し、現在韓国釜山在住。

●日本統治時代を体験している父親から、「生徒に体罰を与えるのは朝鮮人の先生であり、日本人の先生は体罰をしないどころか、むしろ止める側だった」と聞かされた。

(その他の著書)
『韓国男性に恋してはいけない36の理由』 2005年
成甲書房。
『なぜ日本人は韓国人にこんなになめられ続けるのか?』 2015年、夏目書房新社。
 


醜い韓国人 歴史検証編―これは本当のことではないのか
朴 泰赫《パク/テヒョク》/加瀬 英明【著】

日帝両班階級による横暴を取り締まったので、民衆の生活は楽になりました。

民衆の側から見れば、李朝時代よりも日本統治時代のほうが、生活があらゆる面でよくなったから、対日感情は決して悪いものではなかったんです。

だから、独立運動が広範な支持を受けることがなかった」とは、ある韓国人の証言。



正論2002/2月号
呉 善花(お・そんふぁ)拓殖大学教授
1956年、韓国・済州島生まれ。83年来日

●特に教養もなく素朴な田舎人として生きてきた私の母たちが、なんのてらいもなく感じたままの「日本および日本人へのよき印象」を語るのはなぜか。そこにはなんら植民地コンプレックスはなく、ただ自分たちの体験を通しての率直な日本人観・日本観があるだけだからなのである。

●統治し善政をしく外国人支配下の生活よりも、たとえ悪政の限りをつくされたとしても同国人支配下の生活の方がいい、などという考え方は庶民のものではあり得ない。

諸君!2003/7月号呉善花
●日本は統治後しばらくして、初期の武断統治的な姿勢を根本的に改めた。そして事実、生活の蹂躙に至るような統治をしないことを一貫させ、法治主義に徹していった。

過酷な統治を布いたのは日本ではなく、日本統治以前の李朝政権であり、戦後の金日成政権や李承晩政権だった。日本統治はそれらとはおよそ比較にならない善政だったし、人々はそれらの時代とは比較にならない平和で豊かな一時代を過ごした。

『ある韓国人の日本に帰化する心とは』 2013/11/12(火) 


『捏造された日本史』

朝鮮総督府武断政治は、大韓帝国の皇帝や両班(官吏)による政治ほど『武断』ではなく、憲兵警察との二本立ての制度がフランスと同じで、主な目的は朝鮮人警察に対する汚職防止と治安維持だった。

併合初期の治安維持には大きな貢献をしている。たとえば1908年10月から翌年の初年度に発生した傷害事件は780回、延べ34,400人にのぼったが、5年後には5回、延べ45人にまで減少したのである。
         


親日派のための弁明』 単行本 – 2002/7
金 完燮  (著, 原著), 荒木 和博 (翻訳), 荒木 信子 (翻訳)

この本は、反日の著者がオーストラリア滞在中、軽い気持ちで日韓の歴史を書こうと調べたら、歴史が逆さまになっていることに気付き、資料に基づいて書いたもの。

韓国で出版されるやい否や「青少年有害図書指定」され、次々と名誉棄損などで裁判を起こされ、公判中二度も暴行され、今は軟禁中。

●日本時代、朝鮮では3・1独立運動(1919年)と光州学生運動(1929年)以外には、これといった反日騒擾がおきたことはない。3・1運動をみても、今日教科書では当時の日本軍の鎮圧ぶりを誇張している面がある。全国規模のデモは発生したが、日本の警察は運動に加わったという理由では1人も逮捕しなかったし、暴動を主導した人々に対しても、大半は訓戒と軽い罰金刑ですませた。 


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日本は、朝鮮を植民地ではなく、拡大された日本の一部と考えていたから、莫大な投資を惜しまなかった。

今日の日韓関係は、戦後、日本と韓国を支配してきた米国によって作らtれた。

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日韓併合時代の朝鮮人は、日本人としてのプライドを持ちながら、かなり満足して暮らしてた。処が戦後、単なる犯罪者だった者が独立運動家と名乗り、他方、日本人と親しくしていた人々が日本に敵対的な態度をとるようになる。

例えば『和夫一家殺人事件』
日本の天皇が降伏宣言をした一九四五年八月十五日その日、和夫がわが子のように育て、東京帝国大学に留学までさせた朝鮮人Aの主導下に、彼の家で教育を受け、育ち、成人した朝鮮人青年たちが、斧と鍬、スコップを手に、和夫のもとに押しかけ和夫を惨殺。妻をば強姦し、妻はその行為の途中で死亡。更に朝鮮人Dは、普段お母さんと呼んでいた息絶えた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず、内臓をひきずり出して撒き散らした。そして和夫の全財産を奪った。

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(註)要約すると、米国は、植民地とした日本と韓国を意図的にお互い反感を抱かせる戦略Divide and conquer(分裂と征服)をとっている。その代表例が経済面であり、韓国の歴史の捏造である。故に、根源は米国にある。

朝鮮人の体質・文化)Divide and conquerの最適民族
『子供から育てた狼でも、やがて飼い主を咬み殺す』 2012/10/17(水) 


韓国人が知らなければならない歴史
日韓併合前の李氏朝鮮時代の政治と風習』 2012/10/7(日) 


(画像・引用等ソース)




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