山本五十六記念館でのスパイ検証(前段)


今夏、新潟県長岡市にある『山本五十六記念館』を見学した目的は、私がこれまで書いてきた『山本五十六米大統領ルーズベルトの指揮下で日米戦争を起こし、シナリオ通り日本敗戦へと導いた』裏付けになるかもと思ったからです。

尚、昨年の夏も長岡市に一泊し、歴史博物館を見学しましたが、五十六館には行かなかったのです。
※『感激の新潟県立歴史博物館』 2015/8/27(木) 


予想した通り、五十六は幼少時代から米国にぞっこん惚れ込み、超親米派であったことが良く分かりました。尚、この見学記は、次の記事にします。


以前に書いた山本五十六米国スパイ説記事
『広島・長崎に投下された原爆の秘密②』 2015/8/27(木)  

東京裁判で真っ先に追求されのは真珠湾攻撃をした大日本帝国海軍のはずだが、絞首刑にされたのは帝国陸軍6名と政治家1名の計7名で帝国海軍はゼロ。

真珠湾攻撃は遠方故にリスクが高すぎるとの考えより当時の海軍首脳で支持する者は誰一人もいなかった。だが山本長官の「この作戦(真珠湾攻撃)の実施なくば、職を辞する」との信念に軍令部も従った。

処が、日本海軍による真珠湾攻撃は第一波のみで、当初の計画した第二波、第三波攻撃は中止され、肝心の真珠湾の周辺設備や燃料タンクは温存された。

日本帝国海軍絶滅のためにルーズベルト大統領と共謀した山本五十六は、周囲の反対を押し切り戦略的無価値のミッドウェー海戦を挙行。五十六の思惑通り日本の海軍を壊滅させた。

山本五十六が「米英の手先」ではなかったか、という議論は昔からあった。戦時中からあったのである。

その根拠として、戦後、フリーメーソンに買収された海軍の士官の高級倶楽部「水交社(すいこうしゃ、現港区麻布台2丁目)本部」の建物に山本や米内、さらには英米の士官たちも頻繁に出入りしていた事実が挙げられる。

米内内閣の組閣も対米開戦の真珠湾作戦の採用もこの倶楽部で決定されたと言われている。

ベラスコは語る、
「日本はアメリカに完勝していた」と。ベラスコによれば、太平洋戦争は日本海軍の大勝利のはずだったという。日本海軍がアメリカ海軍を徹底壊滅させて戦勝国になる機会が少なくとも4回あったという。広い太平洋海戦の勝利は間違いなかったと断言する。


事実かフィクションかで喧騒した本の目次。目次だけ読んでも概要が分かる。
山本五十六は生きていた 誰がなぜ歴史の真相を歪曲したか』


著者名 ヤコブ・モルガン   (訳:忍野 昭太郎)
発行日:1995.1.5
出版社:第一企画出版

目次
プロローグ:重大な事実が欠落している明治維新後の歴史
1章 明治維新は日本のための革命ではなかった
2章 明治の指導者の多くがフリーメーソン
3章 親欧米政治家に絶望した青年将校たち
4章 日本軍の中枢が米国派だった太平洋戦争
エピローグ:あの戦争は世界支配層のシナリオだった
おわりに:平成二・二六を起こすべき今の日本

ストーリーの概要
日本の政治家は日本の破壊を狙っている。
日本人は今の平和がずっと続くと思っている。また、国家としての危機予知能力や管理システムが著しく不足している。日本人が最も不得意とするものは「大局観」と「戦略」の構築である。

日本人にとって悲劇なのは、日本人自体の中に日本を破壊し、滅亡させようとする徒党がいることだ。彼らは明治以降一貫して日本の弱体化を画策してきた。

目次の細部
プロローグ:重大な事実が欠落している明治維新後の歴史
 1日本の政治、経済、社会全てが崩壊寸前、2平成日本に更におおぉな不幸が襲いかかる

1章 明治維新は日本のための革命ではなかった
 1明治維新から日本の転落が始まった 
2日本に悲惨な運命をもたらした統帥権 
3これが大日本帝国の権力構造

2章 明治の指導者の多くがフリーメーソン
 1アジア民族の同盟を踏みにじった明治政府 
2欧米の植民地主義の尻馬に乗った日本 
3欧米のシナリオ通り操られた維新後の日本 
4日本を暗黒時代へ導いた桂園内閣

3章 親欧米政治家に絶望した青年将校たち
 1太平洋戦争へ一歩突き進んだ大正時代 
2欧米は一本の線でロスチャイルドにつながる 
青年将校を利用して日本を滅亡へ導いた人物 
4日本を戦争へと追い詰めていった売国奴政治家

4章 日本軍の中枢が米国派だった太平洋戦争
 1負けるべくして始まった太平洋戦争 
2米国のために重大な役割を果たした山本五十六 
3卑怯な日本を演出した山本五十六
日本兵を大量にムダ死にさせた山本の作戦 
山本五十六は戦死していなかった 
7陸軍の中枢にもいたユダヤの手先 
8米欧(ユダヤ)の戦略思考に日本人はかなわない
エピローグ:あの戦争は世界支配層のシナリオだった

暗号について
4章 日本軍の中枢が米国派だった太平洋戦争
 3卑怯な日本を演出した山本五十六
 ・最後通牒を遅らせた大使館員は戦後大出世
  何故最後通牒は遅れたのか?その分析。
 4日本兵を大量にムダ死にさせた山本の作戦
 ・なぜ暗号が米軍に筒抜けになるか
  山本が暗号の変更を意図的に伸ばした。
 5ガダルカナルを見捨てた山本五十六 
 ・悲劇のガダルカナルを生んだ大本営軍令部
  米軍の通信解析、暗号解読の研究準備。対して日本は米軍の研究皆無。
 6山本五十六は戦死していなかった
 ・疑問だらけの死体検案書
  山本の行動予定が視察の五日も前に前線に伝えられたのは何故か。城島少将は無用心な暗号電報に激怒。現地指揮官は儀礼的に低レベルの暗号で関係先に転電。
 ・「Z作戦計画書」を米軍に渡す作戦
  海軍乙事件の謎。暗号書も敵に渡る。
  そしてそのまま使い続けた理由は。
 8米欧(ユダヤ)の戦略思考に日本人はかなわない
 ・日本人は白人のようには戦争できない
  日本の商戦団が使用していた「商船暗号」は全て米側に筒抜け。
  兵站や補給は勿論、情報戦特に暗号に関してはあまりにも無防備。解読された徴候があっても「万事遺漏なし」とした。

エピローグ:あの戦争は世界支配層のシナリオだった
 日本外務省の暗号を全て解読した上で米国は、「いかにして日本に戦争を押し付け、戦争に導き、騙して戦争に陥れるか」画策した。 

上記の本の内容をノンフィクションとする見解
『仕組まれた遭難・山本五十六の最期 (5)』

(一部抜粋)
 山本五十六というのはその戦い方から死に至るまで、実にミステリアスな人物である。その戦い方はあたかもわざと負けるようにしたのではないかと思われるほどの摩訶不思議な戦術の連続である。

 例えばガダルカナル島に飛行場を作ったが、ここは最も近いラバウルの航空基地から1000キロも離れているため、零戦の長大な航続力をもってしても片道3時間かかるのでガダルカナル島上空で米軍機と戦闘可能な時間は僅か10~15分しかなかった。何でこんな防衛しにくい場所に飛行場を作ったのか?子供でもおかしいと思うであろう。

 ガ島戦における日米の海軍力の比較は、戦艦ー日本12隻、米ー6隻で空母は日本ー10隻、米ー4隻であった。しかし山本五十六はこれらの優勢な日本の海軍力を有効に使用しようとはしなかった。

 「わが連合艦隊は戦艦も空母もほとんど遊ばせて戦ったのである。要するにガ島戦を将棋にたとえれば、飛車、角、金、銀を使わずに負けた”世にも奇妙な”戦闘なのである」

「戦闘能力からも生産能力からも、逆立ちしても勝つ見込みのない航空消耗戦を、搭乗員の養成、補充も考えずに行った。絶対に不利な戦場までノコノコ出かけて、海軍航空が実質的戦力を消耗し尽くすまで、性懲りもなく行った」

 「こうして日本海軍は、米国海軍長官ノックスの言う『近代戦を知らぬか、近代戦を戦う資格の無い軍隊』に堕してしまったのである」

 「ヤコブ・モルガンという米国の作家が『山本五十六は生きていた』(忍野昭太郎訳 第一企画出版)のなかで、ルーズベルト大統領は山本五十六以下の連合艦隊をおのれのスパイにして日本が負けるように作戦させたというのである。それは本当ではないかと思うほど、日本海軍の作戦は拙劣を極めている」(帝国海軍が日本を破滅させた  佐藤晃  光文社)


上記の本はフィクション(小説)で事実ではないとする見解
但し、山本五十六は愚将以外の何物でもないとし、五十六スパイ説を匂わす。

山本五十六生存説」の偽書ヤコブ・モルガン著?)「山本五十六は生きていた」は笑わせる

(一部抜粋)
読めば読むほどフジ・サンケイ系かどこかの民間右翼の書いた物であることは明白以前だ。可能性としてはサンケイの記者と思われる。(やたら太平洋戦争を含めた歴史に『詳しい』人間)

私も、確かに山本五十六を「米国の回し者」とすれば多くの疑問が氷解するとは思う。

 米国民を戦争に参加し、枢軸国に報復することを固く決意指せた、真珠湾攻撃だが、その十数年前、海軍兵学校での講義で山本五十六は、すでにハワイ攻撃を説いていた。

「間違いなく、機動部隊がなくても、山本ならハワイ攻撃をしたはずだ」と言われる所以だ。(これは本書の内容ではない)

 結局、山本五十六は正真正銘の愚将以外の何者でもなかった。多くの資料を検討すれば出てくる結論だ。


米軍の戦略会議でも、日本の真珠湾攻撃は戦略上、意味はないとしている。

真珠湾を攻撃することは愚かなことだ。日本にとって真珠湾攻撃は不必要なことだ。日本は、タイ⇒マラヤ、さらにはオランダ領東インドへの進攻するのが正論だ。

  Chapter II  Secretary of the Navy
Despite all of these speculations and warnings, the danger toward the end of the summer of an attack, such as was actually delivered on Sunday morning, 7 December, seems to have been considered unlikely by responsible officers, both in Washington and in Hawaii.
Admiral Stark wrote to Admiral Kimmel on 17 October 1941, "Personally, I do not believe the Japs are going to sail into us." 38Captain Charles H. McMorris, Admiral Kimmel's War Plans Officer, expressed the opinion in a conference with him and General Short the first week in December, that there would never be an attack on Pearl Harbor by air39 Rear Admiral Vincent R. Murphy, former Assistant War Plans Officer, on Admiral Kimmel's staff, summarized succinctly at the Hart Inquiry in 1944 the prevailing view on the subject.
Admiral Stark wrote to Admiral Kimmel on 17 October 1941, "Personally, I do not believe the Japs are going to sail into us." 38Captain Charles H. McMorris, Admiral Kimmel's War Plans Officer, expressed the opinion in a conference with him and General Short the first week in December, that there would never be an attack on Pearl Harbor by air39 Rear Admiral Vincent R. Murphy, former Assistant War Plans Officer, on Admiral Kimmel's staff, summarized succinctly at the Hart Inquiry in 1944 the prevailing view on the subject.
In reply to the question, "What were your views at that time with respect to such a surprise air attack?"
he answered, "I did not think that such an attack would be made. I thought that it would be utterly stupid for the Japanese to attack the United States at Pearl Harbor . . . I thought that the Japanese would probably have gone into Thailand and Malaya and even the Dutch East Indies. . . . I did not think they would attack at Pearl Harbor because I did not think it was necessary for them to do so . 
he answered, "I did not think that such an attack would be made. I thought that it would be utterly stupid for the Japanese to attack the United States at Pearl Harbor . . . I thought that the Japanese would probably have gone into Thailand and Malaya and even the Dutch East Indies. . . . I did not think they would attack at Pearl Harbor because I did not think it was necessary for them to do so . 


真珠湾攻撃があるまで、ハワイの司令官には、日本帝国海軍の情報などは一切知らされていず、真珠湾攻撃後は、即、左遷された。

The Commanders in Hawaii testified that all through the summer and fall of 1941 they were not kept fully advised of the information obtained


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(後編)

 山本五十六記念館『赤い日本人形の秘密』