『日本の近代史とは』目次と要点(1)
『日本の近代史とは』目次と要点(1)
2011.12.03-2012.09.27
この頃、英国は宣教師をスパイにし、田布施などの全国集落地の地図さえ作っていた。英国の日本を弱体化する戦略は、下層一族郎党に天下をとらすことであり、それが今も続いている。
その上、「最も好きな国(地域)」を尋ねた質問では38%が日本と答え、米国(5%)、中国(2%)など他国を引き離し、何と「台湾」(31%)をも上回ったそうです。
映画「海角七号」は台湾版のアカデミー賞と言われる「金馬奨」において6部門で受賞したほか、日本で開催された「アジア海洋映画祭」グランプリなど、海外の賞も獲得しました。日本の台湾統治が「NHKスペシャル」で描かれたようなひどいものであったならば、「海角七号」がこんなにも台湾の人たちに受け入れられるわけがありません。
台湾の映画「海角七号」のラストシーン~時を超えた「野バラ」の合唱(後半)。
(ユーチューブ)海角七號終結篇
台湾の映画「海角七号 君想う、国境の南」
(ユーチューブ)日本の台湾統治を絶賛するニューヨークタイムズ 1904/9/25
(ユーチューブ)米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」より
今こそ改めて見直さなければならないこと 2011/12/23(金)
私達が知らなければならない日本の近代史 2011/12/26(月)
ヘレン・ミアーズ著 『アメリカの鏡・日本』
大東亜戦争(太平洋戦争)は植民地解放と人種差別撤廃に貢献した。
(以下、要所要所を抜粋)
日本が総じて安定した非侵略的な独自の文明をつくってきたことは記録に明らかだ。
日本人を間違いで非難するなら、世界の大国になった近代国家でこうした歴史を誇れる国がほかにあるか、探してみるべきだ。なによりも日本国と日本文明の歴史がそれをはっきり否定しているのだ。
そして外国を侵略しなかったことは事実である。
日本は現地住民に独立を約束した。それだけでなく、独立を保障する具体的行動を進めていた。。彼らの独立が法的擬制であったにしても、かつての植民地としての地位を超える一歩だった。
もしヨーロッパ諸国とアメリカがアジアの植民地に戦争をもち込まなかったら、現地独立政権は彼らの共栄圏発展のために、喜んで日本に協力しただろう。そう考えられる証拠は十分ある。
なぜなら、戦争は日本と現地政府の間ではなく、日本とヨーロッパの異民族支配者の問で戦われていたからである。
……大東亜において……日本帝国は、あまりにも激しく、あまりにも不当に圧政暴虐の侵略者として非難されているが、その寛容と自由の実践は世界も驚くであろう。日本は帝国ではあったが、一つの共和国を認め、まさにその樹立に参画した。
外国人が撮った明治時代の日本の写真 2012/6/10(日)
1860年代~1900年代初頭までの外国人が撮った日本です。
米国のポチと池の赤い鯉との違い 2012/6/13(水)
(参考)共産主義者例
世界から絶賛された武士道を再認識 2012/9/13(木)
戦後の日教組教育で自虐思想を脳の奥深くまで植えつけられた私達。
更に、戦後、英国でも武士道が賞賛されました。
下記映像は、観たと思いますが日本海軍と英国海軍との実話です。
この日本の武士道精神が今の私達にも少なからず残っているのは確かですね。
他方、この武士道に嫉妬を抱く国もあることは確かです。
『誓いのコイン』で知る日本の心 2012/9/23(日)
さて、この画像は、ニコライ2世の肖像が刻印されたそのコインで、その中には硬い金属により片仮名で2人の人物名が彫られていいます。
若いロシア軍少尉『コステンコ・ミハイル』と日本の看護婦『タケバナカ』ですね。この二人の物語は、日本がいかに国際条約を守っていたかを象徴するものです。無論、やさしい日本の女性の心も。
そこに国境・民族を越えたほのかな恋心が芽生えたとしても、何ら不自然なことではありません。2人が互いに惹かれあってゆく気持ちは、周囲の噂に上ったものと思われます。
しかしながら、時代がそれを許すはずもなく、「タケバナカ」はある日突然看護婦の職を解雇されてしまうのです。
それは2人にとって永遠の別れの瞬間、最後の夜、1枚のコインに互いの名を刻み、堀之内の泉に投げ入れました。
100年の時を超えて姿を見せた1枚のロシア金貨は、国境を越えて芽生えた2人の愛、そして時代に引き裂かれ、結ばれることの許されなかった切ない思いの物語を、我々にそっと語りかけているように思います。
子供達に読み聞かせたいポーランドからのメッセ-ジ(1) 2012/9/27(木)
『20世紀初頭、765名の孤児をシベリアから救出した日本の恩をポーランド人は今も忘れない」