半世紀前のくだらん出来事
50年前のくだらんことを思い出したので、以下に記述した。
まあ、軽蔑されるのは間違いないだろう。
鞍馬街道は三軒茶屋を過ぎ市原に近づくと山の中のゆるい上り坂(小町坂)。途中、左路肩に高さ50cm程で四角い石柱がある。それは傾き、半分埋めかかるも、それには『小野小町』と書かれてある。恐らく江戸時代のものであろう。
この小さな石柱は、当時、京都育ちのおばさん達も知っていた。どうやら小学生時代の遠足でここを通り、小野小町が老後を過ごした小町寺(補陀洛寺)に参拝したようだ。
その石柱を越えてから、途中、右折するとすすきや草薮の獣道になり、左右視界が開けたところが叡電の何もない踏切だ。
彼はその踏切の上に車を停め、暫くすると、路面電車のような一両だけの年代物の電車が木立の中から抜け出してきてブーブーと鳴らす。
自転車の速度で近寄る電車の運転手の顔が確認できるほどの近さにきたとき、彼が手を振ると電車の運転士も手を振る。それから踏切を離れる。相手は同郷の電車の運転手だ。
尚、晩秋のある休日、男4~5人で静市の川島織物の工場に行った時、当時50mプールの傍から観た夕日が素晴らしく、辺りかまわず、そのプールの端に皆で並び、夕陽に向かい、ザ・スパイダース 「夕陽が泣いている」を絶叫の如く歌った記憶がある。恐らく、これは昭和42年のことだろう。
踏切での珍事は何も岸●さんだけのことではない。熊本出身の当時28歳の浜▲さんや40歳の篠◆さんの運転の場合は、国道1号線の逢坂山から浜大津の方へ下りてきたところにある京阪電車の踏切でも同じことが起きた。
但し、ここではちょっと荒っぽかった。電車は木々の間からゆっくり抜け出し、そこまで接近する。と、彼らは目前のその電車の運転手に手を振りながら、今チンチンと下りてきた竹の踏切棒に構わず踏切を突っ走る。
踏切の竹竿は、バチンと車の前面に当たるとくにゃりと直角に曲がる。処が曲がったら直ぐに元通りの真っ直ぐな踏切棒に戻る。これは当時の流行りで、この踏切突破は新聞でも報道された。無論けしからんということで。
この竹竿も何度かやられると終いには途中から折れちぎってしまうのだが、誰の車がその不運に遭遇するかはロシアンルーレットであった。
ある日、目の前で下りた踏切を白い乗用車が突破。と、竹棒がボキッとちぎれ、くるくると路上で駒のように回った。大笑いである。
今、ここの踏切では竹竿を使わなくなったが、他所では今でも竹竿を使った踏切があるようだ。
(踏切画像借入先)
※ 肝心の貴船の川床の話は次回。
(以前書いていた京阪大津踏切突破の記事)
No.67《琵琶湖で叫ぶ日々》《逢坂山でかまし一発》《死の恐怖の一瞬》
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