福島浪江:国道114号線は『マグナロード』


イスラエルは街の通りに日本人名を付けた。これはイスラエル国民が戦時中の杉原氏の行動に対しての感謝を忘れられないためである。


没後30年 イスラエルに「杉原千畝通り」
日本テレビ系(NNN) 6月8日(水)2時15分配信

 中東のイスラエルで7日、第二次世界大戦当時、ナチスドイツの迫害から逃れた約6000人のユダヤ人にビザを発給したことで知られる日本人外交官、杉原千畝氏の名を冠した通りができた。

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 イスラエルのネタニヤ市で7日、「チウネ・スギハラ通り」の命名式が行われた。通りの名が記された案内板が除幕されると、会場からは拍手が起こった。

式典には、杉原千畝氏の四男である伸生さんも参加した。杉原伸生さん「光栄です。父がこの光景を見たら喜ぶでしょう。(天国で)見ているかも知れません」

 今年は杉原氏が亡くなってから30年にあたる。イスラエル日本大使館によると、ネタニヤ市には、杉原氏に助けられたユダヤ人が多く移り住んだという。

 杉原氏は第二次大戦中、リトアニアの日本領事館で副領事を務めていたが、ナチスドイツの迫害から逃れようとポーランドから脱出してきたユダヤ人約6000人に、人道的立場から独断で日本通過のビザを発給し続けた。この杉原氏の功績は戦後70年の去年、映画化された。


私たち日本国民も、小泉純一郎イスラエルの蛮行を忘れないためにも、国道114号線に別名をつけるべきである。


今一度あの当時を振り返ってみよう 

2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の翌日の3月12日、国の避難指示が原発から10キロ圏に拡大した事を受け、町の災害対策本部は該当地域の住民を町内の津島地区へ避難させる事を決めた。

浪江町津島地区は東京電力福島第一原発から北西へ25キロの地点にある。人口1400人ほどの津島地区は約8000人の町民であふれた。

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それから二日後の3月14日、原子力事故による放射性物質漏洩が深刻化し、同日午前に原発からの距離が半径10km圏内の全域(請戸地区等)、同日午後には浪江町東部全域が含まれる半径20km圏内の全域に避難指示が公示される。

これを受け、二本松市役所東和支所内に仮役場(浪江町役場二本松事務所)が設置され、翌15日以降、約8千人が移動・避難した(避難住民と避難場所は他にも散在)。(註)ウイキペディアより

つまり、浪江町住民は、福一の放射能の流れる風下の津島地区へ緊急移動を指示され、数日間、しっぽりと放射能を浴びせられることになったのである。

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この緊急避難で浪江町東部の住民が利用したのが国道114号線である。
(註)国道114号は、福島県福島市から同県双葉郡浪江町に至る一般国道である。

つまりこの国道114号線での津島地区への避難は、わざわざ被爆を重ねることになる『飛んで火に入る夏の虫』であった。

この避難は、政府の一種の情報隠蔽によるもので、更に政府のこのような誤った避難方向の指示は犯罪でもあった。

このような政府の情報隠蔽と犯罪、そして福島第一原発3号機を水爆で爆破したイスラエルの巨悪『マグナBSP社』、更には、日本の原発小泉純一郎が安全装置を取り外したままの危険な状態であることを後世に伝えるためにも、浪江の町民が逃亡した国道114号線に別名を付けるべきである。

その別名の候補としては、

『マグナ(BSP)ロード』

または 『小泉被爆ロード』



(註)小泉純一郎イスラエルのマグナBSP社の日本国民被爆作戦


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