我が青春の記『初恋慕情』目次


この書庫は私の初恋体験記で、青春時代は一般的な奥手の体験記で終わります。処が、大きく異なることは、彼女(仮称:柚子 ゆつこ)は50歳代後半に病気で亡くなっているのですが、亡くなる前に、そして亡くなってからも私に何等かのシグナルを送ってきていることです。無論、今もです。

彼女が亡くなってから私に送ってきたシグナルの一つに、私に『サルビアの花』の曲を聴いて欲しいというものがありました。

もとまろ  サルビアの花  1972年(昭和47年)


もしかして、彼女は、不本意な結婚をしたのかもしれません。

高校卒業の年の1964年(昭和39年)のお盆での同級会以降、音信も無論会ったこともない私たちなのですが、・・・。



この青春の記『初恋慕情』は、彼女、柚子(仮称)さんが、この世に確かに存在し、あの世でも今尚存在し続けているという証(あかし)でもあります。



プロローグ

1961年(昭和36年)春、私は地元の高校に進学しました。
私の座席の隣の後ろの席に入試トップの柚子(仮称)さんがいました。

彼女の兄と私の兄は高校時代の同級生であり、その関係上、私たちは直ぐに打ち解けたのです。短い休み時間は無論のこと、授業時間中でも私は教師に何度も注意されながらも後ろを振り向き、柚子さんと話し続けました。

それも長くは続きませんでした。
僅か三ヶ月半で終りが来ました。

夏休みが終わり、二学期早々、席替えがあり、私と柚子さんとは離れ離れとなり、以後、お互い、まともに話すことができなくなりました。

私はあれ程気安く話せた彼女と向き合うと胸がいっぱいになり、言葉が出なくなり、他方、彼女は顔を微かに赤らめました。

一年が終わり、二年では別のクラスとなり、三年で再び同じクラスになるも、同じくお互いに会話が出来ませんでした。

然し、彼女とは人知れずほぼ毎日「おはよう」の挨拶を交わしました。

自転車通学の彼女と、遅刻寸前で走る私とは、本荘公園北門前の交差点で何故か毎日出会うのです。

私の履歴書・高校時代3・「何故か毎朝出会ったあの交差点」


、、そして1964年春、高校を卒業し、彼女は東京の私大へ、私は京都の私大へと進学し、その年の夏、近くの安楽温泉で同級会があり、そこで垣間見た彼女が最後となりました。

実は、高校時代のことは書かないつもりでいました。

2008年1月、『私の履歴書・48〈中学時代-21〉』から高校時代を書かずにすぐに『私の履歴書・49〈大学受験―1〉』 に飛んでいることでお分かりと思います。

でも、2014年春、53年ぶりに偶然鎌倉でかっての同級生T夫人と会い、色々と話すうちに気がつきました。高校時代のあの苦しい想いは私だけではなかったことを。

高校卒業から20年後、柚子(ゆつこ)さんが突然夢に現れます。
更に7年後、柚子(ゆつこ)さんの連絡先であろう電話番号が夢に出てきます。
更に15年後の2006年、柚子(ゆつこ)さんの50歳代後半での逝去を知ります。



       目次



高校時代編

私の履歴書〈高校時代-1〉 2014/5/8(木) 
53年ぶり高校の同級生との再会 

私の履歴書〈高校時代-2〉 2014/6/27(金)
そう言われれば・・・鈍感な私 

私の履歴書〈高校時代-3〉 2014/7/4(金)
何故か毎朝出会ったあの交差点 

私の履歴書〈高校時代-4〉 2014/7/5(土) 
新たな苦悩と後悔の日々

私の履歴書〈高校時代-5〉   2014/7/7(月)
もう手遅れの修学旅行の後悔  

私の履歴書〈高校時代-6〉 2014/7/14(月) 
母の戒め

私の履歴書・49〈大学受験―1〉 2008/1/28(月)  
天は私を京都に行かせる

私の履歴書・50〈大学受験-2〉2008/2/4(月)
京都へのプロセス


夢路編

1)ふるさとの クラス名簿を開ければ きみの名 いずこ 小さく欄外

イメージ 1


2)逝くを知る この世で逢えぬ君なれば 夢路の園でかざしを君に

3)青春の 思い出何故に今朝の夢 あの日と同じ 君の眼差し

4)ほおじろよ 恋した人は 今いずこ 木々のざわめき 揺れる心よ


5)一枚の 残る写真は色あせも 君の面影 より美しく

6)今もなほ 見上げる月に 流るひとひら

7)初恋は今も切なく

8)サルビアの花が夢に

9)小鳥に託す面影

10)忘れていた命日

11)50年前と変わらぬときめき

12)慕情の曲が流れる鶴舞公園


13)あの人から四回目の黙示


14)それ以降、度々現れるマドンナ 


15)天界からのメッセージ

16)夢路の君との熱きベーゼ

尚、今後、柚子さんが夢に、或は、半覚醒の時に現れる都度、書いていこうと思います。

※今後の記事掲載先URL