大東亜戦争末期 『神風』二度吹く


色々と調べ物をしていたら、大東亜戦争の末期に神風が二度吹いていたとの私の知らない情報に出会い、寄り道してしまいました。 いつものことですけど。

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神風というと、鎌倉時代、二度の元寇(げんこう)で攻められましたが、何れも、神風が吹き、蒙古軍の大艦隊を海の藻屑(もくず)としましたね。

でも、神風が米海軍の艦隊を海の藻屑としたのは、米艦隊の一部だけで、全艦隊を撃沈出来なかった故に、元寇のような結果とはなりませんでした。

以下、大東亜戦争末期の神風の件に関しての記事より、一部抜粋。



Why have so many ships met their doom in the sea off the south coast of Japan?
そんなに多くの船が、なぜ日本の南の沿岸から離れた海で不運に遭遇したのか?

(一部抜粋)
In fact,there were some sailors who had faced the kamikaze madness and found that this tyhoon was probably the worst experience of their lives.

実は、狂気の神風(台風)に直面し、この台風は恐らく彼等の人生の中で最悪の経験であると気付いた幾人かの船員がいた。

For the men of Task Force 38,the next 24 hours were a living hell.
タスク・フォース38の乗員にとって、次の24時間は生き地獄であった。

(2度の神風)
大東亜戦争(太平洋戦争)中、ハルゼー大将指揮の米海軍第3艦隊は2度にわたり強烈な台風による大被害を被った。

一度目 「コブラ台風」

最初は、1944年(昭和19年)12月18日朝、フィリピン東方海面で第3艦隊の第38任務部隊(高速空母機動部隊)が強力な台風(コブラ台風)に遭遇。

猛将ウィリアム・ハルゼー提督は 「台風を避けずに中を突破する!」 と

処が、駆逐艦3隻(スペンス、ハル、モナハン)が転覆して沈み、ほかに18隻が大破、9隻が損傷を受け、艦上機183機と将兵790名(765名以上)が失われた。空母モンテレーでは搭載機が壁に衝突したことで火災が発生した。

(当時の風速と波の高さ)
The wind 50 and 75 mails(マイル)  gust 120   
風速 26m~39m 最大瞬間風速 62m

Waves 60-foot(フィート) 
波の高さ 18m

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2度目 「バイパー台風」

1945年(昭和20年)6月4、5日、沖縄・九州水域に強力な台風が来襲。
九州南部の特攻基地への空襲を終え、帰還中の第38・1、第38・4両任務群は、東シナ海、沖縄南東海上その猛威にさらされる破目になり、特に第38・1任務群はその位置と針路の関係から甚大な被害を受けた。

この台風により第3艦隊は、戦艦4隻、航空母艦2隻、軽航空母艦2隻、護衛航空母艦4隻、重巡洋艦3隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦以下17隻の合計36隻の艦艇が相当な被害を被り、艦上機142機が破壊される打撃を受けた。

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画像は台風で甲板が折れた空母「ホーネット」。「ベニントン」も同じく大破。重巡ピッツバーグ」は艦首をもぎ取られて漂流。


(画像借用先)
Halsey`s Typhoon by Bob Drury and Tom Clavin
マケイン中将と神風~空母「ホーネット」艦橋ツァー



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