どう死にたいのか自筆で書くべし
ちなみに町民人口3万人の我が家から徒歩10分以内に歯科診療所は幾つあると思いますか?
何と、ここ二十年、いつの間にか増えて3軒が7軒ですよ。
この7軒が凌ぎを削っているんです。
参考までに、この徒歩10分以内には、コンビニが3軒(ローソン2、ファミリー1)、スーパーが3軒(グルメシティ、コーポ、マルシゲ)。
歯科診療所はコンビニの倍以上!
成程ね、町の人口や患者数が特別増えた訳でもないのに。
つまり、全国的に患者数を伸ばす手がないのに、歯科医師数は年々増加。これじゃ、健保での客単価(診療費)を上げなきゃ共倒れとなる。
それじゃ、医療全体の状況はどうなっているかと言うと、同じ事。
一般診療所と歯科診療所との違いは、一般診療所の場合は患者に治る薬と、新たに別の病気になる薬との二種類を与えるとか、病名を詐称して薬を複数以上与え、本当に詐称した病気に罹らせるなどの何らかの手がある。
反して歯科医は患者に再来院してもらう為に手抜きしたら、差し歯が抜けたり、入れ歯が合わなかったり、かぶせが直ぐにとれたりの結果となり、ヤブの肩書きが付く。無論、来院数は減る。
歯科医師数グラフ
医療施設数グラフ
さて、本題
つまり、流行らない医院や病院の場合、通院を重ねると暫時病名が増え、貰う薬の種類もふたケタに。無論、更に体調は悪化。
3・11の福一の時にもあったことだが、今年の鬼怒川堤防決壊による洪水でのこと。それまで毎日医者の指示する薬を飲んでいた避難者がインタビューで元気に「一週間、薬を飲んでいないから心配だ」と。
この避難期間に薬が切れたから死んだとかの話は聞いたことが無い。薬を飲まない方が体調が良いと分かった人が多かったのでは?
他方、老人病院や老人施設での要介護度の高い老人はなかなか死なせてもらえない理由がある。
植物人間となり、手足が腐ってきても生かされる。
1ベッド当たりの収入は、要介護度の高い程、大きいからである。
日本人の平均寿命が世界一なのは、確かに食生活にあるのだが、療養型病院や特別養護老人ホームの収入増を図る努力の結果とも言える。
そこで、ある記事を抜粋し、以下に掲載した。
古希になったら、そろそろ、自分の死までのプロセスはどうあって欲しいのか、更に、死後のことまでの要望を一種の遺言として、自筆に捺印と日付記入で残しておくのも決して早くはない。
今日は元気でも、例えば、石につまずき、転倒し、脳をやられるリスクが年々増加するからである。
「寝たきり老人」を量産している!? 医師や看護師......医療スタッフの"延命至上主義"
ここに興味深い調査結果がある。NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」(代表・樋口恵子)が2013年に行なった「人生最期の医療に関する調査」だ。調査対象は、全国の10代〜90代の5390人(女性4031人、男性1359人)。
食べられなくなり、意思表示ができなくなり、治る見込みがなくなったとき、延命のため胃ろうからの栄養補給を望むかという質問に対し、85.4%の人が「してほしくない」を選んだ。
同様に鼻チューブでの栄養補給を「してほしくない」が86.9%。こんなに多くの割合の人が、経管栄養をしてほしくないと望んでいる。(中略)
「命を救うことが医療の使命」との思いが......
その原因のひとつに、医療現場の「延命至上主義」を挙げるのは、医師で『欧米に寝たきり老人はいない 自分で決める人生最後の医療』(中央公論新社刊)の著者・宮本顕二さん、宮本礼子さん夫妻。
礼子さんの勤める認知症病棟では、本人や家族が経管栄養や中心静脈栄養を希望しない場合、食べるだけ、飲めるだけで看取るようになったという。穏やかな最期を迎えられるそうだ。
以前は1日500mlの点滴を行なっていたが、それで2〜3カ月延命できるものの、患者は極端にやせ細り、褥瘡(じょくそう=床ずれ)もできるなど、苦しむことがあったからだ。(中略)
自力で食べられなくなった、飲めなくなった患者には「人工栄養で延命することが当たり前だ」と考えている医師や看護師はまだまだ多い。
介護施設でも同じことがいえる。終の住処である特別養護老人ホームでは、施設側や家族が「今まで生活していた施設で最期を迎えさせたい」と望んでも、配置医師の意向により病院に入院させられ、延命医療が行なわれることもある。
在宅療養の場合でも、本人と家族、そして訪問看護師が家での看取りを合意していても、主治医が「看取りまでは考えていない」と言えば、家で自然に看取ることは難しくなる。そして病院に送られ、延命医療が始まっていく。
医療スタッフの延命至上主義が、寝たきり老人を増やす一因になっていると言っても言い過ぎではないだろう。