自然災害の罹災者も様々
台風や地震での罹災者全員に国や地方行政が手を差し伸べるべきでしょうか。
あなたは、ちょっと注意したら詐欺だと分かる、或は詐欺かもいれないと思って送金したオレオレ詐欺の被害者の奪われた金を税金で補填することに賛成しますか?
今回は、月初の私の記事での宿題を書きます。
先人の教えや歴史に学べない大人たち 2015/9/3(木)
その前に一言
昭和30年(1955)代、不動産屋ってヤクザな商売と言われていました。
例えば雨になったら浸水する土地なのにその事実を隠し、晴天の時のみ案内し、売ってしまうのですから、騙師屋とも陰では言われていたものです。
その不動産業が、いつの間にか大手企業まで乗り出し、立派な業界となったのですから、昔を知っている私にとっては驚き桃木です。
と言っても、不動産業界には、依然として昔日の詐欺師的性格が残っているようですね。
(私のブログ記事9
私の履歴書(No.128)超やり手から学ぶ 2009/3/3(火)
(一部抜粋)
横浜は、中心部を離れますと住宅地は丘の連続。
当時、その丘の斜面の段々畑が次から次へと宅地に。
この斜面に残され、無用になったため池を超破格値で買い取るのです。
一つのため池は五百坪から数千坪。水利権者達をいかにまとめるかが勝負。
買い取ったため池の水を抜いて、その跡に建築残土を有料で受け容れます。
これだけでも、充分な利益を出せます。
残土で一杯になったら最後に山の土をかぶせて、1年間寝かします。
際立った沈下が収まりましたら、不動産屋と組んで宅地として売るのです。
購入者は都内在住者ですから、ここは池の跡地など知る由もありません。
せいぜい元畑と思うのが関の山。(注)家を建てたら沈下が始まる。
さて、本題
筆者 井上泰浩
8月20日の広島土砂災害の被災地から、私の自宅・職場は直線距離で10キロ程度しか離れていない。あの明け方、これまで経験したことのない数の雷に見舞われ、いつ自宅に落ちるかと不安な夜を過ごしたが、豪雨による災害は朝起きてニュースを見るまで想像すらしていなかった。
何度も行ったことのある被災地の広島市安佐南区緑井、八木地区。見慣れた景色だけに、テレビに映し出される映像に心が痛む。同僚の教え子で、同じ大学で働く非常勤助教の方も犠牲者になられた。亡くなられた方の無念さを思うと、つらい。
同時に、ニュースを見るたびに流れてくる「広島市の避難勧告が遅れた」責任についての、おきまりの「吊るし上げ報道」(とりあえず悪者を作って正義の味方然と責任糾弾)に辟易もしていた。特に、キー局からやってきた「現地レポーター」の正義漢ぶり…。
災害から2日後の今日(8月22日)、老夫婦で切り盛りする料理店に昼ご飯を食べに行った。数年に一度立ち寄る程度の店だ。午後遅く、客は私一人。カウンターに座ると、老主人はぼそりと「雨はだいじょうぶじゃった?」。
私の住む団地は、地形から水害や土砂災害は起こりえない(はずだ)。住んでいる近所の団地名を告げると、主人は店の奥のテーブル席に目をやり、客は私一人であることを確認してから、「あそこは絶対に安心。わたしらーがここに店を出したのも、ここは水害は起きないところだから」。
主人は、ゼネコンの広島支店で広島市中の宅地造成を行ってきた方だった(この日初めて知った)。退職後に、水害、土砂災害には無縁な(はずの)新興住宅地に引っ越し店を開いた。同じゼネコンで職場結婚をした奥さんも頷きながら、話に加わった。
「うちの旦那はね、広島中の宅地造成をやってきたからね。どこが危ないか、全部しっちょるよ」
「山のすそ野、特に沢の下には絶対に住んじゃいけんのよ。じゃけどね、ハウスメーカーや不動産屋は、そんなことは言わん。正直に言ったら、売れんからね」
「(海辺の高級住宅地の名前を挙げ)ヘドロの上に土を埋めただけ。大きな地震が起きたら……」
「お客さんから『今度家を建てることになった』という話をされて、場所を聞くとね、『あそこに建てちゃいけん』とここまで出かかるんじゃけど、言えんよね」
そして、話はテレビや新聞が伝える「広島市の避難勧告が災害後に発令された」というニュースに及んだ。
「あの時ね、逃げたら死んでいた人もいっぱいおった。今からご飯を食べにくるAさん(主人の友人の被災者)も、逃げようとしたら『外に出たら死ぬぞー』と近所の人に叫ばれ、家にとどまって助かったらしいよ。家の外のエアコン室外機から車まで、すべて流されたけど、家は無事だった」
もちろん、避難勧告が災害前に発令され、土石流前に早く避難していれば助かった方も数多くいらっしゃることは事実だ。ただ、避難勧告が土砂災害前に出て、それに従って避難していたら命がなかった方もいらっしゃるという。
避難する判断も、どこに住むかも、自分で判断するしかないのかもしれない。そして、想像を絶する自然災害は、どんなに正しい判断をしようとも容赦ないのだろう。
しばらくすると、さきの被災者家族がお店に来られた。新聞記者時代なら、ずけずけと、いや、職務として話を聞いていただろう。今は違う。命拾いをした友人家族との安堵の時間を、自分が居座ることで汚したくなかった。
「助かってよかったですね」と心の中でつぶやき、店を後にした。