コミンテルンの画策した戦争だった
(※)コミンテルンとは、
習主席、中国は「日本に完勝」し「主要国」に 抗日70年行事開幕
2015年09月03日 13:39 発信地:北京/中国
【9月3日 AFP】(写真追加)中国の首都・北京(Beijing)で3日、抗日戦勝利70周年を祝う大規模な式典が開幕し、習近平(Xi Jinping)国家主席は演説で、中国は第2次世界大戦(World War II)で日本に「完全勝利」し、「世界の主要国としての地位を回復」したと述べた。
(私見)
戦ったのは台湾に逃げた国民党の蒋介石軍とである。
主な事件や戦闘勃発は中国側が仕掛けている。
2006年、明らかになったことは、東京裁判で日本の侵略戦争の緒と称す『張作霖(ちょうさくりん)爆破(1928年6月4日)』は、スターリンの指示を受けたナウム・エイティンゴンが計画し 日本の関東軍の仕業に見せかけたものだった。
(※)「産経新聞」06/02/28
この裏付けは当時の英国への電報でも明らかである。
上記の件をもう少し分かり易く言うと
「ソ連が支配する東支鉄道の利権を脅かす張作霖を暗殺し、より操り易い張学良をを使って関東軍との間に対立を起こさせるように」というモスクワの指示により、GRU(ソ連労農赤軍本部第4局)が日本軍の仕業にに見せかけるシナリオを書き、2つの工作を同時進行して行った。
1つの工作は、関東軍がやったと皆に信じさせる洗脳工作。
後にナウム・エイティンゴンは、橋梁や線路の爆破ぐらいでは致命傷は与えられないから、自分たちが爆破に直接関係したと言って、破壊された客車の写真を撮り それを自分の功績、証拠として自分の回顧録に載せて「自分がやった」とハッキリ言っている。
上記の内容を踏まえて更に詳しく述べると
張作霖は満州の実権を握っていた奉天軍閥の首領だった。もともとは馬賊の頭目にすぎなかったが、満洲駐在の関東軍に接近して庇護を受けるようになってから勢力を伸ばし、1911年の辛亥革命後、当時の実力者・袁世凱のもとに走り、満州の中心地・奉天(現・瀋陽)を中心に力をつけた。支那全土を掌握しようとして、一時は北京まで攻めのぼった。
それに対して、下野していた蒋介石が北伐(国民革命軍)総司令として復帰すると、軍閥の馮玉祥や閻錫山ともてを結んで共同戦線を張り、北京に攻め上ってきた。そして北京の南方に200キロにも及ぶ戦線において対峙し、南北大決戦の様相を呈してきた。
張作霖はじわじわと日本の特殊権益を侵すようになっていた。
ひとつは鉄道権益の圧迫である。
1924年(大正13)、満鉄線に平行して鉄道を敷こうとした。
平行線ができれば満鉄の収入は激減してしまう。
また、コロウ島に新しい港を築いて、大連の港を枯死させようともした。
それにもかかわらず日本の権益を侵そうというなら、そんな奴は殺してしまえという意見も出たかもしれない。
この爆破事件に対して関東軍は支那人の便衣隊(ゲリラ)の仕業に違いないという見解だった。しかし、時がたつにつれ、どうも関東軍の謀略だったのではないか、という見解が強まった。しかし真相はなかなかつかめない。
田中義一首相は天皇に対して曖昧な報告をしたため、天皇は「おまえのいうことは信用できない」と田中首相に不信感を示した。そのため田中内閣は辞職せざるをえなくなった。田中儀一は辞職後まもなく亡くなった。この件での心痛や落胆が病死が原因らしい。
当時の満州では、鉄道をめぐる事件が頻発していた。
数年間の間に100件以上も鉄道爆破事件があった。
満州には匪賊と呼ばれるテロリストたちは推定100~300万人いたといわれる。「土匪」(いわゆる馬賊)のほかにも「半農半賊」(状況次第で匪賊になる連中)、「宗教匪」(宗教的秘密結社)、「政治匪」(敗残兵たち)、「共匪」(共産ゲリラ)・・・などが神出鬼没、昭和8年だけでも匪賊による都市襲撃は27件、列車襲撃は72件を数えた。
張作霖爆死事件も一時はそのうちの一つと考えられていた。
だからこの事件も結果的には大きな国際問題にならなかった。
☆
もっと過激に「いや、その前の張作霖爆殺事件あたりから日本の侵略ははじまっている」とする左翼学者もいる。
そうした見方が戦後の歴史教科書にも脈々と受け継がれ、日本人にかたよった歴史観を植え付け続けている。(以下省略)
(私見)
日中戦争とそれに続く大東亜戦争とは、簡単に言えば、『ソ連のコミンテルンがソ連と国境を接する日本をアメリカを使って叩き潰すというソ連・コミンテルンの戦略に基づき、米国や日本、中国の政府機構にスパイを送り込んで、或は洗脳し、シナリオ通り実践させたもの』と言えますね。
近衛内閣では、ゾルゲ・グループの尾崎秀実ら昭和研究会の影響を受けて、アジアから英米勢力排除を目指す「大東亜新秩序建設」を国是とする「基本国策要綱」を閣議決定し、翌1941年4月13日には日ソ中立条約を締結するなど『連ソ・反米政策』を推進。米国との戦争必然体制を構築するんです。
別な言い方をすると、共産主義の近衛文麿首相が、日本軍による中華民国内部の共産主義勢力の破滅を防ぐためにソ連と画策し、日本と米国とが戦争せざるを得ない状況にしてから首相を退任し、後任の首相となる貧乏くじは東条英機が引かせた。
(註)消えたはずのコミンテルンは今も米国に根付いている
共産主義のヒラリー・クリントン 2014/6/20(金)
オバマ大統領の血と思想の源 2013/9/1(日)
(参考・引用サイト)
(私のブログ記事)
政治はスパイに主導権有り! 2013/8/30(金)
メディアが伝えない大東亜戦争① 2015/8/4(火)
メディアが伝えない大東亜戦争③ 2015/8/11(火)