中国紙『旧満州国発展は日本のおかげ』


上海株の暴落で中国の大崩壊が始まったという説がありますが、それはさておいて、

大日本帝国時代の満州国の農業への貢献を描いた記事が中国メディア「新僑報」に登場した。

昨今の中国メディアの報道を見ていると、中国政府による歴史の捏造を除いて、『過去・現在を問わず、日本の良いこと、良いものは良い』と報道する傾向にあるようだ。

このことは、中国国民がネット情報で、或は、直接日本に旅行し、日本の実態を垣間見た更なる情報の発信により、中国政府のプロパガンダの言う極悪非道なる日本と違って、日本を高評価せざるを得ないという中国国民と中国メディアに変化が起きていると解したい。

反して、『日韓併合』により、大日本帝国が日本本土の税金の流用で朝鮮半島の貧困と糞まみれ文化から救出したにも拘らず、更に戦後、日本の支援で『漢江の軌跡(かんこうのきせき)』を為し遂げたにも拘らず、依然と中国700年間にも亘る属国で培われた『恨(はん)』根性と『火病』、それに同期間、父娘や兄妹間などでの近親相姦出生を繰り返してきたことによる精神異常は、朝鮮民族固有の遺伝子として決して消えることがない。

(参考)
95歳男「日本統治よかった」発言で殴り殺される 
韓国ネットでは「死んで当然」「正義の審判だ」 
2013/9/13 (韓国紙「世界日報」)


下記は、中国メディア「新僑報」の記事を紹介したもの。


日本が「旧満州国」で米を大増産した! 戦後の発展も日本人のおかげ・・・中国メディアが異例の称賛 2015-05-05 10:29

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浙江省寧波(ニンポー)市地元紙の「新僑報」は4月24日付で、「日本の米の食べ心地は、いつから世界第1位になったのか?」と題する記事を掲載した。

同記事は旧満州における日本による米の大増産を高く評価した。特定の分野に限定していても、旧満州国における日本の貢献を中国メディアが手放しで称賛するのは異例だ。

 記事はまず、日本の米が極めて美味しいことは、日本に行った中国人が例外なく認めると紹介。美味しさの理由としては、消費者ニーズに応じるために農業関係者が懸命に取り組んだ品種改良を挙げた。

 さらに、種まき・田植えから収穫までの栽培時期と、収穫後の貯蔵や脱穀、さらにレベルの高い炊飯器の利用など、日本では消費者の口に入るまでのあらゆる段階において、米の味の維持について神経が使われているからと指摘した。

 文章は続けて、中国でも「おいしい米の産地」とされる東北地方(黒龍江吉林遼寧の中国東北三省)について、「日本とどんな関係があるのか?」と問いかけた。

 答えとしてまず、1930年代から(中国)東北地方には大量の日本人が移民したと紹介。続けて、「東北地方における米作りは日本人が主導することになった」、「日本は水利施設の建設や適した品種の導入を行った。東北地方の米生産力は極めて大きく向上した」と説明した。

 中国ではたとえ特定の分野に限ったとしてもメディアが旧満州における日本の「行状」を手放しで称賛することは珍しい。また「新僑報」掲載の記事は、中国で旧満州を指す時に決まって使う「偽満洲国」の語を用いなかった。

中華民国も、その後に成立した中華人民共和国満州国を承認しておらず、「偽満洲国」の語には「正式な国家ではない」との政治的意味が込められている。同記事は「日本が占領した」とは表現したが、政治的色彩を持ち込むことを避けた可能性が高い。

記事は続けて、戦後の東北地方における日本人の貢献も紹介した。水稲栽培を専門とする日本人篤農家の藤原長作氏(1912-1998年)が黒龍江省・方正県で稲作の視察を行い、地理環境、気象条件、農業用水の状況から北海道における稲作が応用できると判断し、指導を始めたという(故郷の岩手県における米づくりのノウハウを応用したとの説もある)。

 当時の方正県では栽培技術の遅れから、単位面積あたりの米の収穫量が極めて少なかった。藤原氏は収穫量を最終的には2.5倍にすると保障して、無償で指導を続けたという。

 記事は、「方正県は実際に藤原長作先生の技術で、水稲栽培大県になった。『方正米』は現在では、有名ブランドだ。『北の大荒野』は『北の大穀倉』になった。

重要な要因は藤原氏の伝えた栽培技術だ」と藤原氏の功績を高く評価した。(編集担当:如月隼人)



●旧満州国民の証言

【中国ブログ】日本人の満州統治時代は「治安が最良だった時代」
2014-10-16 

(後半部分のみ抜粋)
一方で、60代の男性と見られる筆者は「父親の世代から聞いた話」として、日本人が満州国で軍事や警察を含む行政の多くの部分を担当していた時代では「中国社会の治安が歴史上でもっとも良かった時代」と主張。

中国では抗日ドラマや伝承の影響で、「バカ野郎」という日本語が「罵る言葉」であることを知っている中国人は多いが、筆者は「日本の統治時代ではバカ野郎という言葉は別に中国人だけを罵る言葉ではなかった」と紹介、子どもたちも普通に使っていた言葉だったらしいと紹介した。

 また、当時の学校は日本人の子どもも中国人の子どもも分け隔てなく教育を受けていたとし、日本人の子どもと中国人の子どもが喧嘩をしても抗日などといった政治問題に発展することもなかったらしいと紹介した。

 さらに筆者の父親は当時、満州で学校に通っていたと紹介する一方で、「日本人の教師たちは真面目で辛抱強く人に教えるという、まさに“教師の鏡”と言える人びとだったらしい」と綴った。

 続けて筆者は、中国で改革開放が行われるとさまざまな理由で日本を訪れる中国人が増えたとしながらも、「日本人と接触した中国人のうち、日本に対して悪い印象を持ったという人はほとんどいない」と指摘し、日本人を含め、世界の大多数の人びとは「善良な存在なのではないか」と主張。

 日本人に対して「骨の髄まで」刻まれた複雑な感情があると主張し、日本人とは直接の接触はないと綴った筆者だが、日本人に対しての複雑な感情が変化しつつある様子が伺えた。(編集担当:畠山栄)



(※)以前の私のブログ記事

差別なき日韓併合時代と満州国 2015/3/24(火) 

○ 大日本帝国時代、朝鮮人は差別されていなかった?=韓国ネット「デタラメだ」「うちの祖母は日本が大好き…」 Record China 3月23日(月)

○ わたし(金文学)の聞き込み調査の中で、大変驚いた証言が返ってきました。当時満州国で暮らした多くの人々は、実体験を交えながら、こう語りました。

「現在の共産党時代は国民党時代より劣り、国民党時代は日本の満州国時代より劣る」

「もしも満州国がそのまま維持されたならば、現在のようなみじめなことはなかった。日本みたいに発展したはずだ」

 満州映画製作所で働いていたZ氏は、「日本人は残虐だ、悪人だと言うけれど、わたしはそんな日本人には会ったことはない。われわれは仲良くやりましたよ」と回想しています。》反日に狂う中国、友好におもねる日本」金文学著。



(※)今日二回目の更新記事

歴史に学ばない安倍マリオ政権