台湾人がそして世界が感銘する『武士道』


武士道を理解するには、『武』・『士』・『道』と文字を分けたら分かり易いかも。簡略に言えば、武士道とは『道徳』、或は、『いかに生きるべきか』ということでしょうか。
大和魂』とは一言で言えば『桜花』ですね。



陸軍中将根本博氏についての私のブログ記事があったはずだが何故か見当たらないし検索しても出てこない。

それはさておいて、 先ずは改めて根本氏の偉業から。



台湾を救った陸軍中将根本博  5分11秒

2013/11/28 に公開
戦争映画では描ききれない真実の物語。中国とは打って変わり、なぜ台湾はあんなに親日国なのか?それには理由があった。

【1945年日本国 敗戦‼】全ての日本軍が武装解除した。その結果、満州からシベリアへ抑留されるた多くの日本人。

過酷な労働を強いられる。そんな中、武装解除に応じず、内蒙古から4万人の在留民間邦人、支那から35万人の軍人を救った男がいた。

(※)1945年8月19日、駐蒙軍司令官根本中將(北支那方面軍)は、ポツダム宣言受諾後もソ連への武裝解除を拒否し、日本人居留民を守り抜き更に列車まで手配。他方、関東軍は武裝解除し、我先に帰国。結果、ソ連軍と支那八路軍は日本人への虐殺・強姦・暴行の限りを尽くす。

(※)根本中が『戦神』と言われたのは、装備不十分にして弾薬も底を尽きかけたにも拘らず日本軍は破れない。その強さを支那八路軍が恐れた故。

その裏には彼を 手助けした人物の存在がいた。それから8年後、その男は釣竿を片手に釣りに行くと言って妻と子供を残したまま帰ってこなかった。その男の名は?
【根本博中将】

小さな釣り舟で二週間。命を掛けてたどり着いた先は
【台湾】

そして隣に座っていたのは
蒋介石

そう、日本人を救出する時、手助けしてくれたその人物こそ蒋介石だった。

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なぜ根本は命を掛け台湾へ渡ったのか?
戦いが勃発していた。
蒋介石毛沢東の猛攻を受け追い詰められていた。

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【最終決戦】
金門島 古寧頭戦役】

指揮を取ったのは、
【根本博】

華人民解放軍の猛攻にあうが一歩も引かない戦線。そこにい立っていたのは
【戦神】いくさがみ【根本博】

(※)この僅か二昼夜の戦いで中国人民解放軍の死者は1万4千人、捕虜6千人で解放軍の主力は殲滅。対して国民党軍は死者と負傷者が計3千人あまり。
根本博の指揮する国民党軍は強すぎて中国解放軍は以後戦意喪失。

【中華人民解放軍に勝利】
その後台湾、独立自主が確定

根本は戦神と呼ばれ台湾国民一千万人を救った。
2人を繋ぐふたつの花瓶。
この花瓶はペアで一セット。3セット作られた。 

(※)花瓶は高さ40cm、英国のエリザベス女王の成婚を記念して1947年に中国景徳鎮で3セット6点が作られた。蒋介石は1セットを自分の執務室においていた。

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蔣介石的「中華民國三十六年6只花瓶」

這批花瓶是1947年中國政府為慶賀英國伊莉莎白公主(現在的女王)大婚而訂做,共6個,蔣自己留下一對,將其中之一送根本博


1セットはエリザベス女王成婚祝いとして送り、もう一セットは日本の天皇陛下
最後のセットは蒋介石

しかし、二つあるはずの花瓶がひとつしかない。
もう片方はなんと根本の元にあった。

【友情の証】
花瓶の絵柄をよく見るとひとりの男が片手に釣竿を持っている
【これは偶然なのか?】
4万人の民間人、35万人の軍人
命と重さと恩の深さ

【以徳報怨】いとくほうえん
徳を以って怨みに報ゆ
例え恨みがあっても徳を以って報いなさい。
徳に対してはやはり人は徳を以って報いる。

根本が蒋介石に抱いていたのは
【恩義】

恩義に報いる為ならば命など取るに足らない。
そんな思いだったのか?

釣りに出掛けると言って出て行ったきり帰ってこない。
それでも家族は何の疑いもなく根本の帰りを待っていた。
【その年月、3年】

そんなある日、根本は釣竿を片手に何食わぬ顔して帰ってきた。
何事もなかったかの様に何時もの暮らしが始まった。
根本はどこで何をやっていたのか?
家族にとって、それはどうでもいい話だった。
家族にあったのはどこまでも夫への、父への信頼だった。

【家族の絆】
それだけで十分だった。

根本がどこで何をやっていたのか?
それが明らかになったのは根本が亡くなったのちの事だった。

時を経て2011年
根本の手元にあった花瓶は、台湾へ返還された。

『日台間にこんな友情があったことを知ってほしい』
長女である宮田のりさんの言葉である。
私達はこの事実をいつまでも忘れてはならない。



(参考)
下記のユーチューブで詳しく述べられています。

台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡 45分18秒


尚、以下の記事をここで掲載していましたが、長文なので改めて別の記事に書き改めています。

李登輝前総統、記念講演 「台湾精神と日本精神」 (2002.12.15)

書き改めた記事
⇒『台湾国民が抱く大和魂と武士道』

(参考)かっての私のブログ記事

武士道と大和魂を知る序 2014/11/9(日) 

(注)『大和魂』とは『大和心』や『日本の精神』と同義語。
『根性』の意味ではない。
大和魂』の語の初出は、『源氏物語』の『少女』帖とされている。
もう少し長く述べると『大和魂』とは、古くは中国から、近代では西欧から、日本に伝来された知識・学問を基礎とし、日本の実生活に合わせた日本独自の新しい文化を作りうとい概念ですね。(和魂漢才)

『武士道』を体系的なものとし、英文の書でそれを表し、そして世界に『武士道』を紹介したのが新渡戸稲造(にとべ いなぞう)氏です。



(台湾での記事)
1949 古寧頭戰役日本指揮官-根本博



(地図借用先)
台湾ひとり旅 その 3
②『この命義に捧ぐ 副題台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡 門田隆将/著』を読む その2 古寧頭の戦い

(花瓶画像借用先)
日台友情の花瓶帰郷~根本中将
この命、義に捧ぐ