からゆきさん(唐行きさん)


戦国時代のキリシタンイエズス会カトリック教会)大名は、輸入する火薬(硫黄)ひと樽につき、日本の女性50人と交換したから、ヨーロッパでは日本の奴隷女性が巷でうろうろしていたんですね。これが日本でのキリシタンの恐ろしさ。

江戸時代中期、天明の大飢饉などでは、東北の農村の女性は遊郭に売られました。

明治時代になっても、依然として女性の売買が行われて、海外に売られていきましたが、大正時代、1920年、政府はこれを禁止するのです。

からゆきさんの歌



その当時の写真をユーチューブにまとめたものがありましたので掲載しておきます。日本の歴史を知る意味で。

尚、世界的大恐慌の時の凶作での秋田県の状況は、下記私のブログ記事に掲載してあります。

昭和初期、娘が売られた時代の記録 2013/6/18(火)

凶作が決定的となった昭和9年(1934年)、県保安課がまとめた娘の身売りの実態によると「父母を兄弟を飢餓線より救うべく、悲しい犠牲となって他国に嫁ぐ悲しき彼女たち」の数は、1万1,182人、前年の4,4174人に比べて実に2.7倍にも増加している。

身売り娘が多かったのは、秋田の米どころと言われる雄勝・平鹿・仙北三郡であった。注)秋田県の内陸エリア



(ユーチューブ)
【ちぐはぐ日本史】「からゆきさん」家族のために身を捧げた少女たち...海を渡っての娘身売りがあった富国強兵時代の貧困問題!歴史に葬られた少女たち

(写真原版)