武士道と大和魂を知る序
『武士道』について書こうと着手してから9日目に入りました。
何しろこの題名で何冊も本が出ていますし、1900年に10年も費やして一冊の本とした人がいたぐらいですから、調べると調べるほど混迷難解に陥ります。
もう時間切れですので、道半ばですが、ここで記事にしておきます。
(参考)私のブログ記事
古代イスラエル人と日本人 2013/4/21(日)
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武士道を理解するには、『武』・『士』・『道』と文字を分けたら分かり易いかも。簡略に言えば、武士道とは『道徳』、或は、『いかに生きるべきか』ということでしょうか。
考えてみて下さい。
群雄割拠の戦国時代では大名同士が殺し合い、多くの血が流れましたね。然し、ご存知徳川時代に入り、戦国時代は終わりました。
この武家諸法度は、何度か改訂されていきますが、どの段階でも、最初の項目では「学問」と「武芸」を唱えています。
では、ここに言う学問とは何ぞや?
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(参考)朱子学とは、
自己と社会、自己と宇宙は、理という普遍的原理を通して結ばれており(理一分殊)、自己修養(修己)による理の把握から社会秩序の維持(治人)に到ることができるとする、個人と社会を統合する思想。
朱子学が得意とする大義名分論というのは、何が正で何が邪と言う事を論議する事。しかし、こういう神学論争は年代を経ていくと、正の幅が狭くなり、鋭くなり、ついには針の先端の面積ほどもなくなってしまう。その面積以外は、邪なのである。
(参考)六諭(りくゆ)とは、1397年に洪武帝が発布した「孝順父母、尊敬長上、和睦郷里、教訓子孫、各安生理、毋作非為
「父母に孝順なれ。長上を尊敬せよ。郷里に和睦せよ。子孫を教訓せよ。各々生業(=職業)に安んぜよ。非為(=非行)を作(な)すなかれ」の六箇条
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武家諸法度改訂例
『寛文令』
『天和令』
一文武忠孝を励し可正礼儀事
(学問武芸に励み忠孝を尽し、礼儀を正しくする事)
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つまり、この徳川300年弱の平和な時代に、戦わない武士の学んだことは、戦いで人を殺すことではないんです。
そして剣道や書道・茶道は精神の育成ということでしょうか。
代表的な言葉としては、柔道は『礼に始まり、礼に終わる』でしょうか。
(注)アイデンティテ(ィidentity) 同一性。
〔哲〕 あるものが時間・空間を異にしても同じであり続け,変化がみられないこと。
『大和魂』とは一言で言えば『桜花』ですね。
(注)『大和心』や『日本の精神』と同義語。
『根性』の意味ではない。
具体例として最もわかり易いのが今の日本の文字でしょう。
中国伝来の漢字を基礎として平仮名・カタカナを創作してるんですね。
(参考)漢字の意味に拘わらず、日本語の一音節の表記の為に用いた万葉仮名(男仮名)から独立した平仮名(女手)・片仮名へと変化。
『和歌』も中国の漢詩から日本的なものに変遷したものでしょう。
近代では西欧から学んだ技術を取り入れ、より高度化していく。
敢えて述べると日本車もそうですし、極く最近では青色発光ダイオード(LED)。
これが大和魂の為せる業ですね。
『大和魂』と言うよりも『大和の心』と言った方が理解し易いかも。
源氏物語から始まり、時代と共にニュアンスが変化して行くんですね。
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中国などから流入してきた知識・学問をそのまま日本へ移植するのではなく、あくまで基礎的教養として採り入れ、それを日本の実情に合わせて応用的に政治や生活の場面で発揮することである。
そのうち、大和魂は、机上の知識を現実の様々な場面で応用する判断力・能力を表すようになり、主として「実務能力」の意味で用いられるとともに、「情緒を理解する心」という意味でも用いられていた。
江戸時代中期以降の国学の流れの中で上代文学の研究が進み大和魂の語は本居宣長が提唱した「漢意(からごころ)」と対比されるようになり、「もののあわれ」「はかりごとのないありのままの素直な心」「仏教や儒学から離れた日本古来から伝統的に伝わる固有の精神」のような概念が発見・付与されていった。
宣長は「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」と詠んだ事でも知られる。
日露戦争戦勝以降の帝国主義の台頭に伴い、国家への犠牲的精神とともに他国への排外的・拡張的な姿勢を含んだ語として用いられていき、「大和魂」という言葉も専ら日本精神の独自性・優位性を表現するものと解されるようになった。
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他方、徳川時代に『武士道』という体系的なものがあったのではありません。
不文律(ふぶんりつ)だったのです。
言わば『武士とは局地を求める終わり無き自己との戦い』とでも言いましょうか。
個々人の哲学でもあったんですね。
(参考)『大和魂』に於ける道徳とは、日本建国・日本国家に対する大義名分の精神に基づく実行の動機が極めて純粋であって、利己の要素はない。ここが『武士道』に於ける人間の利己から発達した道徳と根本的に相違する。『大和魂』とは日本固有の宗教心である。
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『武士道』を体系的なものとし、英文の書でそれを表し、そして世界に『武士道』を紹介したのが新渡戸稲造(にとべ いなぞう)氏です。
この方の写真は、私たちがいつも見ていましたね。
そうです。旧五千円札です。
(妻メアリ日本名・新渡戸万里子と共に)
彼が「武士道」を著す契機となった事由を、その序文で以下のように記されております。
PREFACE TO THE FIRST EDITION
ABOUT ten years ago, while spending a few days under the hospitable roof of the distinguished Belgian jurist, the lamented M. de Laveleye, our conversation turned during one of our rambles, to the subject of religion. "Do you mean to say," asked the venerable professor, "that you have no religious instruction in your schools?" On my replying in the negative, he suddenly halted in astonishment, and in a voice which I shall not easily forget, he repeated "No religion! How do you impart moral education?" The question stunned me at the time. I could give no ready answer, for the moral precepts I learned in my childhood days were not given in schools;and not until I began to analyse the different elements that formed my notions of right andwrong, did I find that it was Bushido that breathed them into my nostrils
The direct inception of this little book is due to the frequent queries put by my wife as to the reasons why such and such ideas and customs prevail in Japan. In my attempts to give satisfactory replies to M. de Laveleye and to my wife, I found that without understanding feudalism and Bushido, the moral ideas of present Japan are a sealed volume. (以下省略)
上記を意訳した文がありましたのでそれを借用し以下に転記します。
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新渡戸稲造氏が『1889年頃、ベルギーの法学者・ラヴレー氏の家で歓待を受けている時に宗教の話題になった。ラヴレー氏に「あなたがたの学校には宗教教育というものがないのですか?」と尋ねられ、ないと答えると「宗教なしで、いったいどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか?」と繰り返された。私はその質問に愕然とし、即答できなかった。』
その後、彼は当時の日本の道徳観念は封建制と武士道が根幹を成していることに気付き、整理したものを書物という形にして世に出すことになった。
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(注)日露戦争 明治37年(1904年)~明治38年(1905年)
The Soul of Japan
An Exposition of Japanese Thought
by Inazo Nitobe
(注)日本でも1908(明治41)年に訳されている
(参考)
"Chivalry is itself the poetry of life."
「騎士道は人生の詩そのものである。」 歴史哲学者シュレーゲル、
彼が著した「武士道」を手にした当時のルーズベルト大統領は多忙にも拘わらず徹夜で読破し、感銘し、新たに30冊を購入し、近隣者に配ったと言われています。
他方、ルーズベルト大統領は世界の要人に是非購読するように勧めたことから、世界各地で翻訳されベストセラーになりました。(注)英語のみならずポーランド、ドイツ、ノルウェー、スペイン、ロシア、イタリアなど、多くの国の言語に翻訳。
つまり、近代以降の世界各国が認識し絶賛した「サムライ」「武士」の姿は、新渡戸「武士道」に大きく影響された、と考えることができるわけです。
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繰り返しますが、
日本人の民族性は昨日今日身に付いたものではありませんね。
それは日本民族の脳幹に、DNAに、深く刻まれたものがありますね。
それが『大和魂』と『武士道』です。
私のブログ記事に書いていたように、大震災に遭遇した日本人の当然なる行動が『大和魂』と『武士道』によるものだと言うと反発・否定される方が多いでしょうね。
では逆に質問します。
この日本人の当たり前の行動は、いつ、いかなることで日本人のDNAに深く刻まれたのですか?
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つづく