自虐史観からの脱却


昨日の私のブログ記事『自己の歴史観は正常ですか?』の続編です。


60年弱前の私が下川大内村小学校六年の時です。
社会で日本の戦後の歴史を学んでいる時に確か斎藤君が先生に質問しました。

「どうしてアメリカと戦争をしたのですか?」
先生はワシントン会議の「海軍軍備制限条約」での戦艦や空母の保有数が米英の保有数と比較してどんなに少ないものかを船の図と数字(5:5:3:1.75:1.75)を黒板に書いて教えてくれました。

その他石油などの輸入制限なども含め、僅か30分ほどの説明だったと思いますが、小学校時代にこのような教えを受けたことは、いかに貴重なものであったかを改めて思うのです。

今回の記事は、以前に書いていたことの更新版にあたります。
以前の私のブログ記事歪められた日本をただすべき』 2013/8/6(火)





(注)日本の資源輸入を遮断したのはフランクリン・ルーズヴェルト大統領でした。
この大統領が、各国に対して一連の経済制裁をそそのかしました。
無論、日本を窮地に追い込む為に。そして、日本を爆撃するために。

1941年7月23日、(日本の真珠湾攻撃の5か月前)、ルーズベルト大統領は合同委員会計画JB-355を承認しサインしました。

その計画とは、日本への宣戦布告なき先制攻撃で、東京や大阪などの都市を無差別に爆撃するというものでした。

つまり、日本が真珠湾を攻撃しなかったら、アメリカが日本に奇襲をかけていたわけです。

          ◇       ◇       ◇

さて本文へ

元NY・タイムズ東京支局長:ヘンリー・S・ストークス:


日本はアジアの希望だった
アメリカはいかに日本を追い込んだか(前編)

• 1921 ワシントン会議の「海軍軍備制限条約」で、日本の戦艦保有数は対米英わずか6割に制限される。

• 1922 9カ国会議をきっかけに、日本は中国山東省の租借地山東鉄道を返還させられる。

• 1924 「絶対的排日移民法」で日本人は事実上アメリカに移住できなくなり、反米意識が高まる。

• 1930 中華民国政府に排日活動のための経済支援を続ける。37年のシナ事変以降は、軍事支援を公然と行った。

• 1940 
8月 航空機用燃料を禁輸。
9月 くず鉄を禁輸。
12月 鉄鉱石、鉄鋼、スチール製品などが禁輸される 。

• 1941 
7月 日本の在米資産を凍結。日本は貿易決済が不可能となり、食糧を始めとする生活必需品さえアメリカから輸入できなくなった。イギリスやオランダも追随して、日本資産を凍結。

8月 石油を全面禁輸。ヨーロッパ各国も追随し、「ABCD包囲網」が完成。日本の貿易量が3分の1まで激減。(注)アメリカ、イギリス、中国、オランダの4カ国が、日本に対してかけた貿易制限などの経済封鎖。

11月 ハルノートを突きつけ、「日独伊三国同盟からの離脱」「満州インドシナからの即時撤退」などを要求。

12月 真珠湾攻撃



このユーチューブは以前掲載したことがありますが、改めて。
まだ太平洋戦争と呼びますか?大東亜戦争に込められた想い】(9分55秒)




以下は昭和26年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会で行われたGHQの最高司令官だったダグラス・マッカーサーとの質疑応答の一部です。


日本の皆さん、先の大戦アメリカが悪かったのです。
日本はなにも悪くありません。自衛戦争をしたのです。

イメージ 1

  イギリスのチャーチルに頼まれて、ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込んだのです。
 
  アメリカは日本を戦争に誘い込むためイジメにイジメぬきました。そして最後通牒としてハルノートを突きつけました。

中国大陸から出ていけだの、石油を輸入させないなど、アメリカになんの権利があったというのでしょう。

  当時、アジアのほとんどの国が白人の植民地でした。白人は良くて、日本人は許さなかったのです。

  ハルノートのことは私もアメリカの国民も知りませんでした。
あんなものを突きつけられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がるでしょう。 

戦争になれば圧倒的な武力でアメリカが勝つことは戦う前から分かっていました。我々は戦後、日本が二度と白人支配の脅威とならないよう周到な計画をたてました。
 
  アメリカは知っていたのです。国を弱体化する一番の方法はその国から自信と誇りを奪い、歴史を捏造することだと。戦後アメリカはそれを忠実に実行していきました。(注)GHQ日教組・マスメディア・共産党社会党を手先とする。
 
  まず、日本の指導者は間違った軍国主義をとってアジアを侵略していったと嘘の宣伝工作をしました

日本がアジアを白人の植民地から解放したという本当の理由を隠すため「大東亜戦争」という名称を禁止し代わりに「太平洋戦争」という名称を使わせました
 

  東京裁判はお芝居だったのです。
アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争ができない国にしました。

公職追放をしてまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学などを要職にばら撒きました

その教え子たちが今、マスコミ・政界などで反日活動をしているのです。
 
  徹底的に検閲を行い、アメリカにとって都合の悪い情報は日本国民に知らせないようにしました。ラジオ・テレビを使って戦前の日本は悪い国だった。戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙しました。
 
  これらの政策が功を奏し、今に至るまで独立国として自立できない状態が続いているのです。

  私は反省しています。自虐史観を持つべきは日本ではなく、アメリカなのです

  戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使って何十万人という民間人を虐殺しました。

  最後に私が生きていたときの証言を記して、謝罪の言葉としたいと思います。

(質問事項削除)


私は日本を誤解していました。
日本の戦争目的は侵略でなく自衛のためだったのです 

太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の過ちは、共産主義を中国によって強大させたことでした。東京裁判は誤りだったのです。

(質問事項削除)
尚、以下の英字原文は、この訳文の後にあります。


その通りです。太平洋において我々は彼らの現状を無視しました。我々は封じ込めたのです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。

 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。

歴史上のどの地点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産してゐる時の方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでもよいようなものを発見していたのです。

 これほど巨大な労働能力を持つてゐるといふことは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。

 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。

 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました

したがつて彼らが戦争に飛び込んで行った動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。


(以下、原文の一部)
Strategy against Japan in world war II
MILITARY SITUATION IN THE FAR EAST p55, 
the Armed Services and Foreign Relations Committees of the United States Senate – 82nd Congress, Thursday May 3, 1951

Senator HICKENLOOPER. Question No.5:Isn't your proposal for sea and air blockade of Red China the same strategy by which Americans achieved victory over the Japanese in the Pacific?

General MACARTHUR. Yes,sir.In the Pasific we bypassed them.We closed in.You must understand that Japan had an enormous population of nearly 80 million people,crowded into 4 islands.It was about half a farm population.The other half was engaged in industry.

Potentially the labor pool in Japan,both in quantity and quality,is as good as anything that I have ever known. Some place down the line they have discovered what you might call the dignity of labor, that men are happier when they are working and constructing than when they are idling.

This enormous capacity for work meant that they had to have something to work on.They built the factories, they had the labor,but they didn't have the basic materials.

There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.

They lack cotton,they lack wool,they lack petoroleum products,they lack tin, they lack rubber,they lack a great many other things, all which was in the Asiatic basin.

They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.




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