もう手遅れの修学旅行の後悔
修学旅行中、もしも柚子(ゆつこ)さんと一緒なら、気兼ねなしに話せ、どんなに楽しかっただろうと思いながらバスガイド嬢を冷やかし、可愛い女の子を見つけては写真を撮り続けました。アホですね。
私の履歴書〈高校時代-5〉
もう手遅れの修学旅行の後悔
我等高校1年のクラスの時の男子は他の年代と大きな違いがありました。
同級生の兄達は何れも本荘高校の卒業生であり、兄達は結構優秀なのです。
例えば京大生を兄貴に持つ者が三人など。
ちなみに柚子(ゆつこ)さんの兄はW大学政経学部。
私たちは三男坊か末っ子が大半で、厳しく育てられた兄たちと違って放任されて育ったのです。
高校2年の新学期、クラス編成替えがありました。
学校側では我等極楽トンボの集団を分断すべく、成績1番から50番をひとクラスではなく、1番から100番までの100人をふたクラスに分けたのです。
案の定、私は柚子さんとは別のクラスになりました。この時、同じクラスになったのが例の53年ぶりに鎌倉で偶然出会ったT夫人です。
柚子さんとは別々のクラスになっでも毎朝登校途中例の交差点での挨拶は続きました。
教師たちは、隣のクラスとライバル意識を持たせて学業に専念させようとの意図が見え見えでしたが、そんなことに乗るような私たちではありませんでした。
クラスが燃え上がるのは学業以外のこと。
そして初夏、修学旅行の季節となりました。
行き先は大阪・奈良・京都・東京で、ふたクラス100名ごと出発日を違えてです。
無論、私たちのクラスは隣の柚子さんのクラスと一緒のはずはありません。
私は、ケンのクラスと一緒になりました。
出発は夕方の羽後本荘駅からの夜行電車。
眠るはずはありませんね。
翌朝の大阪駅で上陸し、それからが観光バス。
移動のバスの中ですることは、バスガイドを冷やかして皆を笑わせること。
バスの中が静かになった場合、それは私が睡眠中であるということ。
観光地では、旗を持つバスガイドのお嬢さんのオナラの届く距離でお尻の後に従い、ガイド嬢が名所の説明をする毎、アドリブやチャチを入れて皆を笑わせる。
観光地での自由時間と言えば、ケンが持っている小型カメラで同じく修学旅行に来ている他校の可愛い女高生を探してパチリの申し込み。
「写真撮らせて下さい」と言って撮らせてもらえる確率は半々。
ツンとして声をかけただけで怒る女性もいる。
その時、背後から嘲笑の声が聞こえる。誰もいないはずだと思っていたのだがクラスの女子数人グループが我らを追ってきて背後にいた場合もある。
見られたか!
☆
(注)ケンが持っていて、私が旅行中借用したカメラ。
煙草の箱より小さレンジファインダ・カメラ minolta-16
フィルムのサイズ16mmで、普通の35mmの半分弱。
☆
この修学旅行で訪問した奈良京都の寺社仏閣の記憶は皆無に近い。
何しろバスガイドを冷やかすことと、可愛い女の子の写真を撮ることに熱中し、退屈な寺社仏閣拝観などは記憶に残るはずはない。
上の写真は京都の平安神宮での集合写真。
赤い丸の中が53年ぶりに偶然鎌倉で出会ったT夫人。
青い丸の中が私。
黄色が大阪・奈良・京都で一緒だったバスガイド嬢。
右の写真の左側が私。
平安神宮でバスガイド嬢を冷やかしている場面。
大阪・奈良・京都では終日こんな感じでした。
尚、中央の彼とはこの旅行中コメデアンペアーみたいなものでした。彼の兄貴は京大生。この彼はもう亡くなったそうです。
右の写真は、京都から東京に移動途中、米原駅で何十分かの停車中、ホームにいた女の子に声をかけ、パチリしている私をクラスの誰かが撮ったもの。
正面と横顔の二枚パチリ。無論、この光景は列車の開けた窓からほぼ全員が見ている。
修学旅行が終わってから直ぐに、このように写真に添え書きされ、授業中、クラスのほぼ全員に回覧され、最後に私に回ってきた。これを作成し回覧した犯人はM君。
休み時間、クラスの女子数人がやってきて私に言いました。
「あの時のあの女の子の嬉しそうな顔!」
そしてケラケラ笑いました。
あ~ア、これで私の愚行の噂が柚子さんに伝わる・・・・・・
後悔、先に立たず。
こんな私の暗い心も知らず、クラスの女子たちは、修学旅行は大変楽しかったと言ってくるのです。
私たちとは二日遅れで隣の柚子さんのクラスが修学旅行から帰ってきました。
処がこの連中の修学旅行は全くつまらないものだったそうです。
旅行の全日程、通夜もどきだったとか・・・・・
修学旅行の余韻は続きました。我らのクラスの女子たちは、隣のクラスの通夜旅行と違っていかに楽しいものであったかを誇り、隣のクラスの女子たちに旅行中の出来事の詳細を話しているのです。
この時期、例の街角での柚子さんとの挨拶では、暫くの間、私は下を向いて「おはよう」と言っていました・・・・
柚子さんの顔をまともに見ることが出来なかったのですね。
(余談)学年成績1番から100番を成績均等二等分し、ふたクラスにしたはずなのに、教師達の意図とは違って、学期末テストや実力テストの結果は、喧騒たる我らのクラスの方がいつも成績上位でした。
つづく
私の履歴書〈高校時代-6〉 2014/7/14(月) へ
母の戒め
我が青春の記『初恋慕情』目次