新たな後悔と苦悩の日々


心が変わると、それまではなんでもなかったことが大変なこととなりました。



私の履歴書〈高校時代-1〉
53年ぶり高校の同級生との再会 2014/5/8(木) 

私の履歴書〈高校時代-2〉
そう言われれば・・・鈍感な私  2014/6/27(金) 

私の履歴書〈高校時代-3〉
何故か毎朝出会ったあの交差点  2014/7/4(金)



私の履歴書〈高校時代-4〉
新たな苦悩と後悔の日々

俄かに心配事となったのは私の下川大内小学校時代の友人ケンが、同じく下川大内小学校時代の同級生で隣の女子高(県立由利高校)に入学した英子さんを連れてきて、本荘高校の校門前で会ったことです。
 
小学校卒業以来三年ぶりに会う英子さんは、余りにも清楚できれいで眩しく、直視出来ない程でした。その場面をクラスの者に見られていたのです。

私が英子さんと会ったことを柚子(ゆつこ仮称)さんが知ったら、柚子さんは私を嫌いになるかもしれない・・・・・と。
 
(参考)私の履歴書・27 
英子さんとはこうした別れでした  2007/11/6(火)

 次の心配事は、二学期になって間もなくのこと、隣の女子高(県立由利高校)に何かの件で行ってきた同級生が教室で皆に聞こえるように言ったことです。

「水無瀬君は、由利高校で人気があるのだね」 と。
 
私はあわてて即座にそれを大声で打ち消しました。
「私は、小学校が直根(ひたね)、西滝沢、下川大内の三ヶ所ですから、皆とは違い、小学時代の同級生が由利高校にも多いはずです。」
 

恐らくケンのこと、私と一緒に高校受験の前夜に写真館で撮った写真を英子さんに渡したに違いない。

その写真を見た他の女子生徒が私を知っていると言い、それからその写真が隣の教室へと転々としたに違いない。
 
このようなことが柚子さんの耳に入ったら、彼女は私を疎んじ、明朝からもうあの街角で彼女と会えなくなるだろう・・・・・。

 
更に心配と言おうか、後悔と言おうか、常時私の胸のポケットに入っている何枚かの可愛い女の子の写真を一学期に柚子さんに見せたことです。
 
その写真の経緯を述べると、
 
中学三年の時、同じクラスの女の子四人組と私と友人の藤君は親しくなり、時にはこの6人で学校の裏山の新山(しんざん)公園に出かけ弁当を広げる仲となりました。
 
その四人組の中に何事に関しても積極的なミ子(仮称)がいました。
彼女の父親と私の父とは知人同志なのです。

そのミ子が私に言うのです。

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「水無瀬さんの好きな女の子は誰?」
「そういう人はいません」
「じゃ、私が一番可愛い娘(こ)を紹介してあげる」
「一番可愛い娘(こ)って誰?」
「隣の組の野子(仮称)さんよ」
「野子さんて?知らないよ」
「お母さんも野子さんも三味線に日本舞踊をしているのよ」
 
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そう言って休憩時間に隣の教室に私を連れて行き、野子さんを指さしました。
「可愛いでしょう」
「ほんと、可愛い」
更に廊下で野子さんを恥ずかしがる私に引き合わすのです。
そして、数日後、野子さんから写真を貰ってきました。
 
それだけではありません。
ミ子は、下級生まで手を伸ばしました。

「ネェネェ、私たち(四人)で下級生で誰が一番素敵な女性かを検討した結果、奈加子(仮称)さんですよ。取り敢えず写真を貰ってくるわ」
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その数日後、ミ子は奈加子さんの写真を持ってきました。
奈加子さんは、生徒会の役員をしており、成績も学年トップクラスで日本舞踊もしているのです。

「最近のお写真は踊っているこれしか無いそうなので、今度、改めて写真を撮ることにしたわ。水無瀬さん、カメラを持っていない?」


イメージ 3
 言われるままに翌日、小学校時代から使っているカメラをミ子に渡すと、早速奈加子さんを撮ってきたものの、教室の中でしたから露出不足。
 
ミ子は改めて奈加子さんの写真を撮りに行きました。
私はミ子に言われるがまゝでした。
 
「これらの写真をいつも胸のポケットに入れておいて」とのミ子の意向に沿い、私は高校に入ってからもそれら写真を胸のポケットに忍ばせていたのでした。

そしてそれら写真を高校一年の一学期に柚子さんに見せていたのです。
 
なんというアホなことをしてしまったのか!
苦悩と後悔の毎日でした。 (´;ω;`)

                  つづく



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