そう言われれば・・・鈍感な私


私の履歴書〈高校時代-1〉
53年ぶり高校の同級生との再会 2014/5/8(木) の続編です。
 


私の履歴書〈高校時代-2〉
そう言われれば・・・鈍感な私

私は高校二年の時の同級生T夫人をどうしても思い出せないのです。そこで私はT夫人に私の記憶にある中学と高校の同級生の女性の名前を一人づつ思い出して口に出すと、T夫人は、彼女の知っている女性については都度短評しました。
 
それら短評でも特に長く語ったのが、真由子嬢についてです。
(注)真由子嬢は私の中学一年・二年、それと高校一年の計3年間の同級生。
        ☆
(参考)
私の履歴書・31〈中学時代ー4〉
あこがれの女性
《止まらなかった涙》

真由子嬢が私を指差して言う。
「このクラスのボスは冬樹さんです!」
何と私はギャングのボスのように真由子嬢に思われていたのか!
ショックでしたね。勉強もクラス一番、育ちの良さのにじみ出ているお上品さ。
その憧れの真由子嬢に言われたのですから。

        ☆
 
T夫人が今でも誇りに思っているのが、小学生時代、真由子嬢のお誕生日会に毎年招待されたことです。
 
真由子嬢の家は金持ちで、招待する友達も厳選されたそうです。
T夫人は、その厳選された5人の中に毎年入っていたのです。
 
お誕生日会では、部屋にはピアノがあり、部屋の中は色とりどりに飾られ、そしてそれまで食べたことのないステーキやサラダ類、生クリームのケーキ、飲んだことのない飲み物が振舞われました。そして、真由子嬢のピアノ演奏です。

終戦からまだ10年しか経っていない昭和30年(1955)前後のことですから、庶民の子供にとって夢のような時だったそうです。
 
私はその話が終わった時に言いました。
「私は中学1年の時、真由子さんを殴ったことがありますよ」

T夫人は感嘆と言おうか、喜悦と言おうか、そういう声で言いました。
「まぁ!やっぱり。殴りましたか。」
 
「でも、担任から別室に呼ばれ、扇子で乱れ打ちされたけど」
私は、それら当時の状況をかいつまんで話しました。

(参考)
私の履歴書・33〈中学時代ー6〉
恋の手紙の紙飛行機事件
 
私の履歴書・34〈中学時代ー6〉 
恋のお手紙飛行機の行く末
 
私の履歴書・34〈中学時代ー7〉 
真由子嬢に怒鳴り込まれた私

       ☆
 
更に、クラスはそのままで中学二年になった4月下旬のことも話しました。

「放課後の教室にて私たち4名が学級新聞第二号の編集にとりかかっていたときです。真由子さんがきて『私も学級新聞の仲間に入れて下さい』と申し出てきたのですよ。」
 
そう話した時に、T夫人は口を挟みました。
「それはおかしいですね。真由子さんは合唱部、自宅ではピアノのレッスンや家庭教師がきてそんな余裕などないはずですよ。それに後からわざわざ加わったのでしょう?」

私 「私も不思議でした。でも新聞編集の日に他の用事で欠席したことはなく、それに自己主張することはなく、いつもより口数が少なく穏やかでしたよ」
T夫人 「どうしたのかしら?」

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(画像)本荘中学へのこの坂道、当時はアスファルトではなく、石ころの土砂道。

私 「下校では、あの砂利道の長い坂を下るでしょう。あの時は、新聞部員5人が横に並んでみんなで色々と話しながらゆっくり歩きましたよ。」
T夫人 「珍しいこともあったのですね」

私 「真由子さんは顔を赤らめながら『殴られたのは冬樹さんが生まれて初めて。しかも一度だけ。父からも叩かれたことがないのに。』と時々言っていました。坂の下では小学生の弟さんが真由子さんのボデーガードとして迎えにきていました。」
T夫人 「不思議ですね」

(参考)
私の履歴書・35〈中学時代ー8〉 
音大に行った真由子嬢

      ☆

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私 「5~6年前だったか、突然、真由子さんが夢に出てきたの。純白のウエディングドレスのようなドレスを着て。そこで私が真由子さんをお姫さん抱っこしたの。」

T夫人 「(笑いながら)重すぎて抱っこはまともに出来なかったでしょう?」

私 「いやいや、何しろ夢の中ですから、すんなりと抱えましたよ。」
T夫人 「まぁ!」

私 「これは真由子さんに何かが起きたのかもと思って、弟さんの経営している会社に電話を入れたの。」
T夫人 「それでどうだったの?」

私 「真由子さんは東京で元気にボランティア活動のようなことをしているようですよ。一年か一年半前には帰郷したこともあるそうです。」

(参考)
私の履歴書・40〈中学時代ー13〉 
真由子嬢を抱いて三途の川を渡る

       ☆
 
T夫人 「それは良かったですね。実は真由子さんには妹さんがいて、幼少の頃、白血病で亡くしているの」
私 「そうだったのですか。やはり真由子さんも難病だったのですか。」

T夫人 「病名は知らないけどそういうことでしたよ」
私 「それでですね。中学三年の時はほとんど登校しなかったし、高校も一年で消えてしまったし」

T夫人の発する「それは変」とか「それは不思議」との言葉を聞いて、「そんなはずはない」と思い込んでいた当時の私は、やはりおぼこかったのですね。

T夫人 「恐らく、東京の病院では家庭教師を雇ってベッドで勉強したと思うわ」

      ◆

真由子さんの身体に、中学一年の三学期か、中学二年の四月早々、何らかの症状が現れたのでしょう。

妹の例もあり、自分の短いだろう人生を誰かに分かってもらいたかったのかもしれませんね。
                             つづく


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何故か毎朝出会ったあの交差点  2014/7/4(金)




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(※)お姫さん抱っこの画像借用先