ある老人の死


先日のこと、

偶々、伝言することがあったので2年ぶりに知人宅に電話しました。
ところが、その知人である亭主は既に亡くなっていました。

そこで私は香典を持参し、ご焼香に彼の自宅に行きました。
以下、その時の話です。

      ★

案内された畳の部屋にある仏壇は化粧板で作られていました。
位牌は白木に漢字を縦に書かれているが俗名ではないし戒名でもない。

その位牌の右の上段には写真。
彼の遺影ではなく、池田大作氏夫婦の写真。

仏壇の中に写真を飾るのでしたら、本人の写真はどこ?
故人である亭主の写真は飾られていない。
仏壇の置いてある畳敷きの居間のどこにも置いていない。

焼香台も線香差しや香炉も見当たらない。
遺骨は仏壇に置いたま
遺骨をどうするかは未だ決まってはいないが散骨をしようと思っているとの由。

奥方は仏壇の前に座ったまヽで故人のこれまでの入院歴や病状を話す。
更に故人の両親や兄弟のことも。
これが延々と45分も続く。

正座している私の足は痺れる。
私 「拝ませて下さい」

そこでようやく彼女は仏壇の下部の引き出しから線香を取り出す。
そして仏壇の正面の位置を私に譲る。

お線香は火を点けることなく、位牌の前に横にして置くとのこと。
そして「南無妙法蓮華経」と唱えること。(唱える回数は忘れました)

言われたとおりのことを終えた後も彼女の話は続く。

彼女が創価学会に入信したのはどうやら40歳代のこと。
その当時、福岡支店の支店長をしていた故人(亭主)は猛反対。

以降、40年間、財布は一切故人が握り、彼女には毎月生活費を渡すだけ。
創価学会の毎月の財務費、お布施、聖教新聞代(数部)、学会での活動費や書籍代などは、彼女が自ら働いて稼いで納金し続けているとのこと。

だから故人が現職だった当時の給料や退職金も幾らだったのかも知らず。
退職後の年金が幾らだったかも知らず。

死亡した時の彼の銀行預金の残高は僅か数十万円。
一体、60歳代前半では会社役員として年収は年金を合わせて1千万円以上であり、退職金も少なくとも数千万円という高額の行方はどこに?

故人となった亭主についての彼女の恨みつらみが一通り終わった後、いよいよ臨終の様子が語られた。

亭主が度々入院し、その都度亭主の肉体が弱まり、おしめ常用となった頃、彼女の学会の友人からカプセル入り薬を小さな紙包で渡されたそうです。

「もしもご主人がもうダメと思ったら、このカプセルを飲ませなさい。静かに眠ることができます」 と元看護婦の友人。

或る日のこと、居間でテレビを見ていた亭主は立ち上がれず、倒れたそうです。
そこで彼女は元看護婦の友人から貰った小さなカプセルを水で飲ませ、肩を貸してベットに寝かせたのです。

それから彼女は亭主の枕元で十分間お経を唱える。
お経を終えた直後、亭主はか細い声で「有難う」と言う。

彼女はそこから離れ、リビングで20分間過ごした後、亭主の元に帰ってくると、亭主は死んでいたそうです。(中略)

彼女「死因に不信があるのでしたらお調べ下さい」
警官「解剖しなければ分かりません」

彼女「それでは解剖してください」
警官「この場合は司法解剖ではなく承諾解剖になりますから、解剖費用は個人負担となります」

彼女「解剖しても不信原因は解明されるはずはないから、解剖はしません」


以上が死亡した時の状況とのこと。
彼女は更に言葉を付け加えました。

「カプセルの中に入っている薬剤は植物から抽出したもので今の病院で検出することは不可能ですからね。解剖費用がもったいない」

それから私は彼の日常過ごした居間の隣室にあるキッチン兼リビングルームを案内してもらいました。

飾り棚の上には、幾つかの写真立てがあり、その写真には家族で撮ったセピア色の写真もありました。

それを見ながら、あることに気がつきました。
この中にも彼が写っているものは一枚も無い・・・・・



※60歳以降、私の無二の親友は、10歳年上で元㈱ウズマサのメンテナンス事業部取締役事業部長のこの彼でした。


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