1996年ノンキャリア組OB同行記
1996年(平成8)、私の東京勤務時代のノンキャリア組との同行記です。
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その1)元総理大臣、橋本龍太郎東京事務所
ここに、勤務する私設秘書の皆さんのご出身は、各省庁出のノンキャリア組。
「ここは、厳しい!何しろ、橋竜は金に執着。金をどこからか獲ってこなければ首」
これ、私の感想ではなく、当時、ここで橋竜の私設秘書の名刺で、各省庁や民間施設・企業におどしをかけていた各省庁OB私設秘書の皆さんのぼやき。
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その2)大手建設業 佐藤工業㈱
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(参考)
1862年(文久2)初代 佐藤助九郎が富山・柳瀬村において佐藤組を創業。
2002年(平成14)会社更生手続開始申立・開始決定(2009年 会社更生手続終結)
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ここの事務所の一角が傑作。
ドアを開けると右側にパーテーションで仕切った机がずらりとならんでいます。
それも背中合わせに同様に机がずらり!机は合計20個はありましたね。
ナ、何と、ここには大きな棒グラフがあるのです。
各省庁・各元政府系企業からの受注実績棒グラフなのです。無論、個人別。
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私見ですが、この企業の破綻の原因の一つには、幹部連中の人を観る目が無いことと自社に対しての誇りがなかったことにもあったのではないでしょうか。
「会社名の大日本土木と言う名前が悪くて、優秀な人材が集まらない」との幹部連中のぼやきを聞いて呆れました。
その幹部連中は、脱土木を図り、厚生省ノンキャリアOBを採用。
処が、このOB、稀に見る営業天才なのです。
勤務した初年は年間70億円の受注でしたが、次年度から年間200億円の受注。
これ程の男に支払う年間給与は五年経っても1,000万円には到底至らず。
逆に、「ジジイ」と小馬鹿にしていたのです。
この、小馬鹿にされていた厚生省のOBさん曰く、
「この会社は、アホな取締役だらけ。潰れるよ!」と言っていました。
案の定、潰れましたよ。彼も見る目は正しい!!
厚生省ノンキャリア組OBにこれ程の男は、もう、いないでしょう。
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無論、ノンキャリア組でも、現役時代の最終役職によっては、キャリア組のようなレールの上を歩むだけでいい人もいました。
尚、キャリア組の話は稿を改めてですね。
1996年(平成8)のことでした。