1996年ノンキャリア組OB同行記


1996年(平成8)、私の東京勤務時代のノンキャリア組との同行記です

尚、ノンキャリア組の定年後の就職は、キャリア組の場合は天下りと言いますが、再就職と称します。この国家公務員ノンキャリア組の退職後には、キャリア組と違って厳しい現実が待ち構えていましたね。

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その1)元総理大臣、橋本龍太郎東京事務所

東京都千代田区紀尾井町の小さなビルの二階に、橋竜の事務所があったのです。
ここに、勤務する私設秘書の皆さんのご出身は、各省庁出のノンキャリア組

「ここは、厳しい!何しろ、橋竜は金に執着。金をどこからか獲ってこなければ首」

これ、私の感想ではなく、当時、ここで橋竜の私設秘書の名刺で、各省庁や民間施設・企業におどしをかけていた各省庁OB私設秘書の皆さんのぼやき。

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その2)大手建設業 佐藤工業㈱  

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(参考)
元・東証1部上場の日本の総合建設会社(ゼネコン)2002年6月4日上場廃止
本社所在地:東京都中央区日本橋本町(登記本店所在地:富山県富山市
1862年(文久2)初代 佐藤助九郎が富山・柳瀬村において佐藤組を創業。

青函トンネル黒部ダム東京湾アクアライン本州四国連絡橋などの大型国家プロジェクトに数多く携わってきた。特にトンネル工事に関しては業界トップクラスであり、「トンネルの佐藤」と呼ばれている。
2002年(平成14)会社更生手続開始申立・開始決定(2009年 会社更生手続終結)

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実は、佐藤工業が当時、6,700億円の負債を隠していた事は、公表される約一年前に知っていました。あの時、株をやっていたら、しこたま儲けたか、インサイダーで捕まったかですね。

ここの事務所の一角が傑作。
ドアを開けると右側にパーテーションで仕切った机がずらりとならんでいます。

イメージ 1


それも背中合わせに同様に机がずらり!机は合計20個はありましたね。
このルームの机は、佐藤工業㈱が雇用した各省庁OBのノンキャリア組や、元政府系企業OBにあてがわれたもの。

ナ、何と、ここには大きな棒グラフがあるのです。
各省庁・各元政府系企業からの受注実績棒グラフなのです。無論、個人別。


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その3)中堅ゼネコン 大日本土木㈱ (近鉄系)

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1924年大正13年)3月 - 創業。
1944年(昭和19年)6月28日 - 大日本土木株式会社設立。
1961年(昭和36年)4月 - 関急土木株式会社を合併し、近畿日本鉄道傘下に。
2002年(平成14年)7月5日 - 民事再生開始申立。
10月22日 - 日本鋪道(現・NIPPO)が債権支援に合意、再生計画案を提出。
12月25日 - 再生計画認可決定。

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私見ですが、この企業の破綻の原因の一つには、幹部連中の人を観る目が無いことと自社に対しての誇りがなかったことにもあったのではないでしょうか。

「会社名の大日本土木と言う名前が悪くて、優秀な人材が集まらない」との幹部連中のぼやきを聞いて呆れました。

その幹部連中は、脱土木を図り、厚生省ノンキャリアOBを採用。

処が、このOB、稀に見る営業天才なのです。
勤務した初年は年間70億円の受注でしたが、次年度から年間200億円の受注。
受注先は全部、当時の厚生省の補助金助成金対象先。

これ程の男に支払う年間給与は五年経っても1,000万円には到底至らず。
逆に、「ジジイ」と小馬鹿にしていたのです。

この、小馬鹿にされていた厚生省のOBさん曰く、
「この会社は、アホな取締役だらけ。潰れるよ!」と言っていました。

案の定、潰れましたよ。彼も見る目は正しい!!
厚生省ノンキャリア組OBにこれ程の男は、もう、いないでしょう。


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無論、ノンキャリア組でも、現役時代の最終役職によっては、キャリア組のようなレールの上を歩むだけでいい人もいました。

尚、キャリア組の話は稿を改めてですね。

            1996年(平成8)のことでした。