浅田真央さんのオーラの源
これを読んでから真央さんの演技や表現を見ると、恐らくこれまでとは違った感覚と理解が深まるものと思われます。
尚、ここには全文の半分(NO.1~NO.3)しか掲載しておりません。
残りのNo.4~No.6は、URLを下段に表示してあります。
以下、本文
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家族、稼ぎ、男…メディアが報じない浅田真央の“私生活”
2013年12月29日 掲載
NO.1~NO.3
名古屋市内の通称「女子大小路」と呼ばれる一角で、真央の父・敏治(55)は売れっ子ホストとして知られた存在だった。
小学生の頃に父親が死去。
繁華街で働いて家計を支えてきた苦労人だ。
11年12月に早世した真央の母・匡子(享年48)も若くして両親を失っている。
姉と2人、それこそ身を削るような努力で生計を立ててきた女性だ。
■破産寸前まで娘に投資
青春を犠牲にして働いた男女は夜の街で出会い、やがて結ばれた。
後の天才少女が生まれたのは、1990年9月25日。
母には家庭の事情で諦めた夢があった。プロのバレエダンサーになる。
その夢を託すように真央には3歳からバレエを習わせた。
「真央ちゃんが初めてリンクに立ったのは、5歳のとき。足首が鍛えられてバレエが上達する。そう考えて匡子さんはフィギュアを学ばせたのです」(浅田家の知人)
あくまで「バレエのためのフィギュア」で、真央はメキメキと頭角を現していく。
小3で全日本の新人発掘合宿に招集。
小6で最難度のトリプルアクセルを跳んだ。
この子を金メダリストに育てる――。両親も腹をくくった。バレエ教室をやめ、放課後は母の車で大須のリンクに移動し、連日5時間の猛練習。
スケート優先の生活で学校を休む日も増え、同級生と遊ぶ時間もなくなった。
ノーブラ
「真央はブラジャーしていないから、楽でいいわね。舞の(おっぱいを)半分もらいなさい」。週刊誌が報じた安藤美姫の発言。
確かにお世辞にも巨乳とは言えないサイズだ。姉は〈舞のおっぱいEカップ〉というメッセージ付きプリクラ画像がネット上に流出している。
フィギュアは金のかかるスポーツだ。
コーチの指導料、有名クラブの登録料、衣装代、遠征費……。
1年で大手企業の会社員の年収分が軽く吹き飛ぶ。
しかも姉の舞も国内トップ級のスケーターだ。
独立した父の経営店は大繁盛だったが、姉妹の育成費を捻出するのは至難のワザだった。
真央誕生の翌年に3階建ての住居を新築。父はそのローンを抱えながら、05年8月に土地建物を担保に差し出し、大手消費者金融からカネを借りた。極度額は1300万円に上った。
■ひっそりと街から消えた父
「あの頃が一番苦しかった。一家が破産してもおかしくなかった」
母が生前、知人に当時を振り返った言葉だ。
05年12月に15歳でGPファイナルを制して以降、真央は年4~7社とCM契約を結び、出演料は1本4000万~6000万円とされる。年間1億円以上を稼ぐ、国民的アイドルとなった頃、父は密かに夜の商売から離れた。
「娘の体面を気にしたんだろう。最近はだいぶ減ったけど、まだ世間に誤解を受ける職業でもある。自分の因果を、かわいい娘に背負わせたくない。そう考えたのでしょう」
とは、父を知る女子大小路の老経営者。
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