台湾の原住民・高砂族の素晴らしさ
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2013.11.28 23:05
〔関連トピックス〕NHK
1審で原告側は計約1億1000万円を請求していたが、原告数の減少に伴い2審では計710万円の支払いを求めていた。
判決などによると、平成21年4月5日に、NHKスペシャル「シリーズJAPANデビュー」の第1回「アジアの“一等国”」で放送。
1910年にロンドンで開催され、パイワン族の生活状況を紹介した日英博覧会の写真に「人間動物園」とテロップを表示し、「イギリスやフランスは植民地の人々を盛んに見せ物にし、日本はそれをまねた」と紹介した。
賠償を認められたパイワン族の高許月妹(こうきょ・げつまい)さん(83)の父はこの博覧会に参加。高許さんはNHKのインタビューに応じた。
1審は「人間動物園」の表現について、「過去の歴史的事実として紹介したにすぎず、番組が原告の父親を動物扱いしているものではない」と認定。
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《問題のNHKスペシャル ユーチューブ》
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私の記憶によれば、1910年にロンドンで開催された日英博覧会での日本のコーナーの一部では、台湾の過去の生活と日本が台湾を統治してからの台湾の生活を比較したもので、「人間動物園」とは無縁なものであったはず。
そのNHKの報道を、何の疑いもなく、そのまま受け容れている幼稚な右脳の持ち主の中高年齢層。
ご存知の方も多いと思いますが、改めて記事にしました。
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『高砂義勇隊』
この高砂義勇隊は台湾の「高砂族」という山岳民族出身で構成されていますが、「高砂族」といっても実際はタイヤル族、トロック族、タウツア族、パイワン族、などなど複数の民族がおり、さらにパイワン族はピューマ族やアミ族などなど複数に分かれます。
(全文URL) ↓ クリック
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ユーチューブもあります。
(5分弱)
米豪軍に一度も敗北しなかった高砂族「特別遊撃隊」─日本の南洋戦略11
(6分)
「高砂族」に関するエピソード引用
先祖伝来の蕃刀(ばんとう)で密林を切り拓き、
食料となる動植物の知識も豊富で在り、敵に立ち向かう勇敢さ、
そして彼らの徹底した忠誠心にだれもが舌を巻いた。
彼らは素直で純真、責任感があり、ジャングルでは方向感覚に優れ、
音を聞き分ける能力も在り、夜目が利く。
又、軍靴などは装着せず素足で行動し、足音さえ立てずに
完全な暗闇のジャングルを縦横無尽に渡り歩いたと言う。
潜入攻撃、切り込み攻撃では群を抜いた活躍を見せ付け、日本兵の度肝を抜いた。
世界最強の傭兵と謡われる英国特殊部隊・王立グルカ連隊と
又その日本の古武士に似て名誉を重んじ、任務完遂には命を惜しまず
勇戦する姿と能力が高く評価され、昭和19年から正規兵として採用され、
各地で抜群の働きをした。
又大変日本兵とも相性が良く、共に歌を口ずさみ共にふざけ合い、同じ夢を見て眠った。
(「高砂義勇伝」より)
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「おにぎり」
「俺はこの握り飯を彼の前で食うことはできない。」と。
彼の部隊は東南アジアで作戦中、食料不足で飢えに苦しみました。
そこで足腰が強く、ジャングルに強い高砂族の兵士が、遙か後方の基地まで食料を取りに行ったそうです。
しかし何日待っても帰ってこない。様子を見に行ったら、彼は部隊まであと少しというところで、両手一杯の米を抱えて餓死していた。
米を持ちながらの餓死。
信じられるでしょうか。
餓死するほどの限界に達しながらも、多くの日本兵が心待ちにしている食料には
一切手をつけなかったのです。
慟哭した元日本兵は、そんな彼の霊前で握り飯を食うことができなかったのです。
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「返却された補償」
当時高砂族を部下に多数部下に持っていたある陸軍少尉は、戦友の病気見舞いに訪台、同時に日本政府が台湾の戦後処理を放置しているのを見かねて「我々日本人の恥である。戦友としてまことに忍びない。国が補償しないなら、おれがする。ほんの気持ちだけど・・・・・」
と旧部下の戦友20余名に各日本円10万円を 贈った。
高砂族の部下一同御温情に感泣して
「こんな金をいただくわけにはいかない」と誠意のみ頂戴して全部返したといいます。
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戦争はひどかったが、日本がひどいといった人はいなかった。
遠来の日本人に対するお世辞もあるだろうが、彼等は
「日本人は最後まで公平だった。われわれが死ぬとき、日本兵も一緒に死んだ」と、
むしろ僕を教え諭すようにいった。
「生涯で一番の思い出は?」とという僕の問いに
「敗戦で日本に帰る途中、基隆で降ろされ、日本兵と別れたとき」と一人が答えると、
同期だったもう一人が「そうだなァ、やっぱりあの時だなァ」と相槌をうった。
「白い手ぬぐいを出して、両方で手をふりあって、船が見えなくなるまで、立ってましたよ。 国旗を取り上げられて、白旗しかないんだ。あの時、せめて日の丸をふってあげたかった・・・」
その言葉には、間違いのない実感があった。
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作家の鈴木明氏が昭和50年(1975年)ごろに台湾を訪ねて、高砂義勇兵だった人に「日本に対して、日本の軍隊に対して、遠慮のない意見を言ってください、本当のことを言ってください」とお願いするとその人はこう答えています。
「戦いは本当に苦しかったが、自分は特に日本を恨んでいるということはない。我々は確かに殴られたり、苦しいことに会ったが、それは日本兵も同じで、我々だけが苦しかったわけではない。
日本の軍隊が、われわれだけを苦しい戦場に行かせたなどということは、絶対にない。我々の父の時代に比べれば、日本時代はずっと生活がよくなったし、現在は日本時代に比べれば、また生活がよくなっている。だから、誰を恨むということはない」
また、他の義勇隊だった人に「義勇隊にとられた時は、どんな気持ちがしましたか?」と聞くと、
「とられたのではありません。自分で行ったのです。自分の精神で行ったのだから、誰にも文句はいいません」
と語気を強めて言いました。高砂族、それは誇り高い民族でした。
素晴らしい民族・高砂族。
そして彼らが今も信奉するのは、日本の『大和魂』ですね。水無瀬
(注)今日のもう一つの更新記事
『今年のパカパカ競馬の収支は』