(続)心の故郷・小学校唱歌


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下記は、その後編です。

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■7.「我が国語の優尚にして最も愛すべき」

 伊澤は欧米の教育思想や音楽を学んだが、当時の主流であった西洋崇拝主義には陥らなかった。

 明治政府で文部大臣を務めた森有礼は、日本語を廃して、英語を国語にしようと唱えた。伊澤は森の部下だった時期もあるが、それには組みせず、「我が国語の優尚にして最も愛すべき最も重んずべきものなることを」悟らせるべき、と主張している。

 たとえば「山は青き 故郷 水は清き 故郷」は万葉以来の和歌の伝統につながる優尚なる表現であり、「囲炉裏火は とろとろ 外は吹雪」は、我が国語の愛すべき特性が表れている。

 ただ当時の日本語の話し言葉は各地で様々な方言に分化していて、真の意味での「国語」、すなわち「国民のコミュニケーションのための言語」というには、不十分な状態であった点を、伊澤は認識していた。

 近代国家においては、国民は同一の国語を使って、自由な意思疎通ができなければならない。全国津々浦々の小学校で、品格のある歌詞と美しいメロディーの唱歌を歌うことは、国語の確立のために、大きな役割を果たしたであろう。

■8.「忠君愛国の元気」

 明治23(1890)年、明治憲法が発布された翌年、伊澤は民間の立場から国家教育社を創設し、機関雑誌『国家教育』など出版活動を通じて、教育に関する啓蒙活動を全国規模で展開した。

 その設立趣旨には「忠君愛国の元気を養成煥発すべきこと」など、現在の左翼思想家から見れば、即座に「国家主義教育」と切って捨てられそうな言辞が並んでいる。

 伊澤はハーバード大学で生物学も学び、当時、欧米社会で流行していた社会進化論の影響を受けた。これは生物が単細胞から進化して人間のような高等生物に進化したと同様、社会も単純な原始社会から近代国家に進化していく、という思想である。

 その根底には国家を一つの生物に模し、国民をその細胞とみなす国家有機体説があった。細胞は人体の構成要素だが、各細胞が一致協力して活発に活動してこそ、人体も健康に成長する。

 明治憲法で定められた天皇を元首とする近代立憲国家体制をさらに発展させるには、国民がその国家の一細胞であるというアイデンティティを持ち、国家全体のために貢献しようという気概を持たなければならない。それが伊澤の言う所の「忠君愛国の元気」であった。

 この元気は、ヒトラーの親衛隊や毛沢東紅衛兵のように、全体主義によって洗脳された歯車からは出てこないものだ。故郷の自然を愛おしみ、父母・友垣を思う深く豊かな情操から出てこなければ、その人自身に生き甲斐を与え、同時に国全体のために役立つ元気とはならない。

 伊澤が創始した唱歌教育は、そうした深い情操から「忠君愛国の元気」を発揮する国民を作り、それが明治日本の躍進の原動力となったのではないか。

(文責:伊勢雅臣)

(参考)
伊澤が作詞したと言われる「仰げば尊し


(余談)
小学校の同級会で、これら唱歌を皆で肩を組んで歌いたいものですね。

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(参考)
日本の心は東南アジアの人々に心に伝わりましたね。

大東亜戦争 ビルマ独立と日本との関係

http://www.youtube.com/watch?v=vZFaIo8uEEc


(参考)日本の心についての前回記事 2013.09.03

「自虐的国家観からの脱却」
「(続)自虐的国家観からの脱却」