またまた韓国人の本音


TVの生放送では、一度言ったことは消しようがないですね。
今回は、またまた、まさに韓国人の物事に対しての本音ですね。

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3・11の時も韓国人の本音が出ましたね。
こういう国ですから、ワンナイトラブを求めて韓国に出かける女性達は、もう日本に帰国せず、韓国に永住したらいいでしょう。

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「日本人、死んでください」 3.11東日本大震災を喜ぶ韓国人たち

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韓国人サポーター「日本の大地震をお祝います」

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パク・ギヨン(21)のユーチューブ

「日本人たちは既に被爆していますか?
もうすぐ東京にも大地震が発生して死んでしまうのですか?
良かったです。
私はよく日本人を殺す想像をするが、私は人を殺すことはない。
この民族は自滅してくれる。
あぁ気持ちいい。
一瞬で死んでください、日本の皆さん」

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上記ユーチューブを観て韓国人達は 「よくぞ言ってくれた」 「現代の安重根義士だ」 「大統領にしたい」 などど賞賛する声が多い。

注)安重根義士とは、伊藤博文を銃殺した男。


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以下、中国紙より。

尚、日本の報道では、TVの司会者の名前を隠している。
この程度のことで何故に隠さなければならないのか?

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アシアナ航空機事故で韓国人司会者が発言、「幸いにも死者は中国人だった」 ー中国紙 ー 

中国紙・環球時報は8日、韓国アシアナ航空機が米サンフランシスコ国際空港での着陸に失敗し、中国人乗客2人が死亡した事故で、韓国メディアが「死亡したのは中国人。韓国人でなくて幸いだった」と伝え、韓国ネットユーザーから強い反発が起こっていると報じた。(中略)

韓国紙・東亜日報系のテレビ局「チャンネルA」では当日午前のニュース番組で司会者の尹慶民氏が「最新の情報によると、死亡したのは2人の中国人。韓国人ではない。これは我々の立場からすると、幸いだった」と発言、視聴者から苦情が殺到した。(以下省略)

アシアナ機事故、韓国報道の不適切発言は「中国の外交力欠如の表れ」?―中国版ツイッター

(一部抜粋)
「『韓国人の死者がいなかったことを強調したかった』というのと、『犠牲になったのは中国人だ』という事実の間に、何かつながりはあるの?発言からは中国人に対する軽視が見て取れる」 

「どんな国のアナウンサーでも、『死者が米国人でよかった』とは言わないはず。つまり、今回の事件は中国の外交力欠如を示している。中国はすでに強国になったと勘違いする者もいるが、まだ努力が必要ということだ」

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下記は、今のアメリカの西海岸の現状を如実に表している出来事。
今後、この西海岸で何が起こるのかを暗示している。

〈アシアナ機事故〉人の弱みにつけこむホテル、宿泊料を8倍値上げする店も ー米メディアー

2013年7月9日、米NBCによると、今月6日米サンフランシスコ国際空港で起きた韓国・アシアナ航空機の着陸失敗事故後、周辺のホテルの中で宿泊料を大幅に上げる店が現れた。中には1泊140~150ドル(約1万4000~5000円)の宿泊料を1200ドル(約12万円)に上げるホテルもあった。中国新聞社が伝えた。(以下省略)

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下記は、「明治開化期の日本と朝鮮(1)」より、一部抜粋したものである。

韓国との外交は話し合いを基本とすべし等とTVで言う田嶋女史だが、この女史は単なる偽善家であることが裏付けられる内容となっている。

この記事では、韓国人には妥協してはならぬという示唆に富む。

朝鮮の対日交渉術

 当時の朝鮮との交渉の記録を読むと非常に興味深い。(公文別録・朝鮮事件 公文別録・朝鮮始末 公文別録・朝鮮尋交始末、その他)

日本側は繰り返し繰り返し何度も何度も話し合いを進め、朝鮮側に配慮して文章を変更したりしている。

これがまた半端な数ではないのである。当時の史料を見ると、書き直しにつぐ書き直し、案件につぐ案件、印章も作り直したり、どの文章がいつの書契なのかよく分からないような量と手数の多さなのである。

書記官たちは同じような文章をいったい何度書かされたのか、実に同情にたえない。 

しかし日本側のそのような譲歩にもかかわらず、朝鮮側は断固受け取り拒否なのである。なんと明治元年から7年経っても!。

 朝鮮の外交官僚の態度は日本人から見るとたいへん不誠実に見える。

まるで、嘘・ごまかし・公私混同の弁明・仮病・突然の前言翻し、など虚々実々の駆け引きのオンパレードである。

それに対して、日本側はというと、ただひたすら辛抱強く粘り強く正論をもって交渉している。その姿はまあ馬鹿正直なほどである。そこには日朝の文化の違いすらが感じられてある意味面白い。

 ここにひとつの史料がある。明治7年4月、日朝交渉をしていた日本側代表は、朝鮮人が日本人をあつかうの6ヶ条の秘訣』なるものを入手している。(アジ歴資料「公文別録」の「朝鮮始末(三)」p91)

年代が日本の江戸時代中期(元禄時代)頃に当たる作とされ、作者は不明であるが、この頃から、朝鮮人は日本人に対する交渉術なるものを編み出していたらしい。日本との交易に携わる者たちの間で広まっていたものかもしれない。

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曾テ韓人 我ヲ待ニ 六條ノ秘訣アリト聞ケリ 偶 住永友輔 左ノ文ヲ得テ出セリ 果シテ 其 聞所ノモノナラン

朝鮮人待日本人六條
一 遜辭  屈己接人辞氣温恭
一 哀乞  勢窮情迫望人見憐
一 怨言  失志慷慨激出怒膓
一 恐喝  将加威脅先試嚇動
一 閃弄  乗時幸會翻用機関
一 変幻  情態無常眩惑難測

右元禄年

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上記の訳文
朝鮮人の対日本人交渉術秘訣6ヶ条

一 謙遜する 
自分を低くして接し言葉遣いも雰囲気もうやうやしくおだやかにする。

一 哀れみを乞う  
困りきったような情をあらわし憐憫で見られるようにする。

一 怨みを言う  
精神を失ったかのように憤ってはらわたから激しい怒りを出す。

一 恐喝  
まさに威圧し脅しをかけておそれさせる。

一 閃くように弄する  
あらゆる機会を用い時に乗じて翻弄する

一 変幻  
同じ態度をせず眩惑し推し量ることを難しくする。

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@ ざっとこんな意味であろうか。
明治元年から7年間にわたる日朝交渉において、まさしく朝鮮側の交渉態度はこのとおりであった。

しかし国と国との交渉にこのような小手先の技で臨むなら、それは小児の外交である。必ず信義をなくし、その真意も伝わらないだろう。

 もっとも、当時、日本外交官と折衝した府使や訓導らは、理由あって初めから詐偽を以って日本側に対応し続けており、後にこのことを知った国王は激怒して彼等を斬首刑に処しているが。

              以上で抜粋終り

(抜粋並びに資料)
明治開化期の日本と朝鮮(1)
アジア歴史資料館
↑このサイトで「朝鮮始末(三)」を検索すると、朝鮮始末(三)のサイトへ繋がります。