道東のブリザードに思う
弥生3月に入ったと言えども、北海道は2日から荒れましたね。
特に道東では、7名の方がお亡くなりになったようです。
改めてご冥福をお祈り申し上げます。
それにしても、何故こんな惨事のなったのかでしょうか。
私が26年前の1987年1月5日札幌に着任した当時、雪については現地の山川課長から散々脅されました。
★
①吹雪の時、車で走る場合、1m先も見えなくても前に進まなければならない。
停止したら、後続車に追突される。
前が見えなくても道人は飛ばす。
国道の場合、盲目的状態でも時速50Km前後で走らなければならない。
②吹雪の国道を走行中、突然吹き溜まりが出来て車が雪に突っ込んでしまう。
或いはどんどん雪が降ってきて、道路で動けなくなる。
更に、国道が通行止めになるから、他の車が通ることはなく、何れ除雪車が来るまで車中で夜を明かさなければならない。注)当時、携帯電話は一般化していず。
④雪道の鹿に注意。
雪道では急ブレーキは効かないし、鹿も道の真ん中から逃げない。
ドカンと当たったら、バンバーではね上げてドカンと落ちてくるところが車の屋根。
100Kg前後の肉の塊が屋根に落ちるから屋根はペシャンコで車は廃車。
★
これが何度も聞かされた警告でしたね。
永年北海道に住んでいる人は、知っていて当然だと思っていました。
母子4人死亡の母親(40歳)は、これらの事を知らされていなかったのでしょうか?
それとも、忘れてしまったのでしょうか。
とテレビニュースでは思っていましたが、道新の写真を見て、その車に積もった雪の深さに驚きました。
注)TV画像はNHKニュースより
停止した場所が吹雪で2mの吹き溜りになったのですから。
前進不可となった場所が、防雪柵の所ですから何とも言いようがないですね。(注)右の画像
この防雪柵があるということは、そこで吹き溜りが出来易いということ。
既に吹き溜りが出来ていて、その中に突っ込んでしまったということでしょうね。
次の段階として、車は雪から脱出不能。
どんどん吹き溜りは大きくなっていく。
車はどんどん埋まっていく。
外に出たが吹き飛ばされる程の強風で思うに任せず。
辛うじて後部マフラー付近をスコップで除雪したが寒すぎて続かない。
スコップを握れなくなる。
気温マイナス10℃で、風速10m/sの場合の体感温度はマイナス29℃。
風速20m/sの場合はマイナス36℃ほど。
皮手袋をしていたとしても、除雪作業は5分も出来ない。
車内で身体や手を温めても直ぐには暖まらない。
吹き溜りの積み上がる雪の高さは、一時間に30センチ以上だったかも。
やがては母と子が除雪出来る高さを越えるしドアはもう開かない。
エンジンを止めると暖房のない室内にしびれる程の寒さが襲う。
恐らく、排ガスのリスクを充分に知っていたとしても、小中学生のお子さんがいますからエンジンを時には掛けなければならなかったでしょう。
ブリザードの凄まじ風音と寒さと何も見えず雪に埋もれた車の中の四人。
余りにもの心細さで一酸化中毒の恐怖などはいつの間にか頭から飛んで・・・・
発見された時、エンジンがかかっていたというのですから。
車のエンジンの小さな音と振動と微かな熱風が心の拠り所だったかも。
痛ましいことでした。
★ ★ ★
他方、道新には、北見市内の女性たちの写真も載っていました。
何ということだ!
そんなに女性の脚の皮は厚いのか!
ひょっとして、北見の女性の脚には鹿の脚のような毛が生えているのかもしれないですね。
以下、道新記事
★ ★ ★
(03/03 07:37、03/03 20:03 更新)
【中標津】2日午後7時55分ごろ、中標津消防署から中標津署に、「(根室管内中標津町俣落の道道で)車が雪に埋もれて動けない」と連絡があった。同署員らが現場に駆けつけたところ、車の中で男女4人を発見、町内の病院に運ばれたが死亡が確認された。
道警はマフラーと窓がふさがって排ガスが車内に充満したため、一酸化炭素(CO)中毒で死亡したとみている。
暴風雪で不明の親子、父親は死亡 湧別、長女は意識あり
(03/03 08:48、03/03 12:14 更新)
暴風雪で新たに1人死亡 中標津、牧草地で発見
(03/03 13:39、03/03 14:44 更新)
【中標津】道警によると、根室管内中標津町の牧草地で3日朝、近くのアルバイト従業員北川陽菜さん(23)が倒れているのが見つかり、病院で死亡が確認された。約300メートル離れた場所に北川さんの車が乗り捨てられていた。
オホーツク大混乱 道内暴風雪、帰宅困難者相次ぐ
(03/03 07:28)
道内暴風雪8人死亡 中標津、湧別など4市町で
(参考) 私の履歴書・251 私に通じなかった死の恐怖