戦後の学校教育の考察


大津・皇子山中学のいじめ問題、桜宮高校やその他学校での教師の体罰問題などが露呈されましたが、もう沈下の兆しですね。早いものですね。

皇子山の場合は、加害者の親が教師にプレッシャーをかけたり、被害者の父親がテレビに度々登場したり、桜宮では橋下市長がテレビでそれまでの自己主張の隠蔽とテレビで目立つことを目的として爆弾発言をしたかと思いきや、何がどうなったのやら。

戦後の教育について私見を書いていましたが、時間切れ。
後日掲載します。

代わりに、下記宇佐氏の主張の主要点を抜粋しました。
それぞれの年代によって考え方が違うと思いますが、一考の価値はあるようです。
                         

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(15) 「待ったなしの教育改革」  宇佐静男 

米国第3代大統領トーマス・ジェファーソンは「最大の国防はよく教育された市民である」と言った。まさに教育問題は国防問題でもある。

 「平等」という美名のもと、国家を含め、あらゆる権威が否定され、教育現場からは「教壇」が消えた。「教壇」は先生が高いところから生徒を見下ろすため、権威主義的だからダメだという。

先生と生徒はそもそも平等だ、などという偽善的悪平等主義は、結果的に先生の権威を貶め、先生はただの「友達」になり下がり、教室の秩序は崩壊した。

まさに学級崩壊は日教組の戦後教育の「天唾」でもある。
悪平等主義は徒競争で「お手々つないでゴールイン」といった非常識で愚劣な醜態を演じて疑問を感じないところまで浸透している。

 権威の否定は家庭教育にも悪影響を及ぼしている。アンケートでは、親を尊敬している子供が日本20%、米国63%、中国73%と出た。親の言うことを聞かないはずである。

 日教組労働組合である。教師は労働者であり、教師自らが聖職者であることを放棄した。労働者であるから当然の権利だと、違法にもかかわらず生徒の目を憚ることなく、政治ストライキに参加した。その姿を見続けた生徒達が教師の権威を否定し、規範意識の喪失に陥るのは当然と言えば当然である。

 現政権がいう「子供は社会が育てる」は間違いである。子供は一義的には親が育てるものだ。昔から「しっかり抱いて、下に下ろして、歩かせよ」と言われてきた。

「乳児は肌を離すな。幼児は肌を離せ、手を離すな。少年は手を離せ、眼を離すな。青年は目を離せ、心を離すな。」ともいう。こういう昔から日本人の誰もが実行してきた子育てのあり方を家庭が取り戻すことが何より求められている。

では、どうしたら学校教育を再生できるのか。米国の教育再生プロセスが参考になる。
米国は過去、日本と同様、学校秩序が崩壊したことがある。だが米国の場合、教育政策の失敗に気づき、いち早く手だてを講じ、既に回復した。

 1960年代後半から70年前半にかけて、米国は教育の「自由化」「人間化」「社会化」を教育理念とした「子供中心主義」が蔓延した。

学校を子供達の「楽しい場に」しようと、退屈な暗記やつづり方、あるいは発音を教える教育はカリキュラムから次々と消えていった。

 「子供中心主義」の蔓延により、教師は毅然たる姿勢を失い、生徒の御機嫌とり、あるいは歓心を買う芸人と化し、生徒は権威に対する尊敬を忘れて刹那的に走るようになった。70年代初頭には教育現場から伝統的な『古き良き教育』は完全に消滅してしまった。

 学校秩序は崩壊し、校内暴力が蔓延り、麻薬・アルコールの乱用が増え、セックス・10代妊娠の急増など、手が付けられない状態になった。
15歳から19歳の自殺率も3倍に増えた。

学校教育の現状に危機感を抱いた中産階級の親は、子供を学校にやらずに自宅で教育したり、経済的に豊かな家庭は規律のしっかりした私立学校に行かせるようになった。

 そこへ登場したのがレーガン大統領である。彼は学校教育に深刻な危機感を抱き、国家を挙げての教育改革に着手する。レーガンはこう言った。

「我々の国家は危機に瀕している。かつて我が国は、通商、産業、科学、技術革新の各分野で優位を誇っていたが、今や世界中の競争相手にその地位を脅かされている。その原因は何か。それは教育である」と。持ち前の強力なリーダーシップで改革を遂行していった。

結果、米国の教育と経済は10年を待たずして再生した。学校に規律が戻ったのだ。子供達は伸びやかに生活し、安心して学業に励み、学力も向上した。

 「自主性尊重」「子供中心主義」などという「壮大なる実験」は失敗に終わり、米国は高い授業料を払う結果となった。日本は壮大な失敗を米国に学ぶことができ、対応策も分かっている。

にもかかわらず日本は米国の失敗には目を伏せ、まるで周回遅れのマラソンランナーよろしく同じ過ちを繰り返している。

「学級崩壊には教員の増員で」といった自己増殖を企図する動きもある。まさに焼け太りである。教師の意識を変えない限り、増員しても同じであろう。日本の教育改革は教師の意識改革にほかならない。

「もし非友好な外国勢力が米国に対して今日のような凡庸な教育をするように押しつけたとしたなら、それは戦闘行為に相当するとみなせるものだ」とまでレーガン大統領は言った。

事態は一刻の猶予も許されない状況にある。日本国民全員が切迫した危機感をもって学校教育の立て直しに臨まねばならない。
http://www.jpsn.org/free/gendaisakimorikou/2012/0726_15/