誰も務まらなかった仙台支店長

 
2008年2月でしょうか。
元札幌時代(1986年12月~1991年2月)の部下斉木君から自宅に電話がかかってきて、本社に会議で来たから既に退職している私と一緒に飲もうというのです。
 
そこでその一年前の前回同様、高槻市の居酒屋で飲むことにしました。
彼は、仙台支店の支店長に昇進して一年経過していました。
 
一通りの世間話や四方山話が終わった後、彼はぼやきました。
それが一年前に会った時と全く同じく東北人に関する内容でした。
 
参考 前回の記事)私の履歴書・322  人を育てるということとは高槻市の居酒屋にて)
 
「東北の人間ってどうしようもないですね」
「どうしようもないって? 東北全体の収支は合っていないのかね」
 
「そうです。何せこの一年間は魚住課長の後始末で大変でしたから」
「ほう、魚住君が仙台支店で課長職をしていたのか」
 
「あの鉄砲玉のやりっ放しの性格ですから彼が去った後は小売店からクレームだらけ。本来の支店長としての仕事はできなかったですよ」
「そうだとしても彼は必死だったのでは? それでは青森や岩手、山形の営業所の結果はどうだったの?」
 
「それが全滅でした」
「そうか、そもそも仙台支店は歴代YD→HY→FT→TT→TS→TDと6人が支店長を努めたが、誰ひとりとして通期(年間)に黒字を出した支店長はいなかったからね」
 
「そうだったのですか。それにしても所長達は水無瀬さんを皆慕っていますよ」
「私の札幌営業所時代から、札幌の次は仙台の支店長になってくれと東北の所長連中に請われていたのだよ」
 
「へぇ~、そうだったのですか。と言っても、あんなにひどいレベルの連中は北海道にはいませんでしたね」
「ちょっとその話、待って。私が札幌に着任した20年前の君達のレベルは、あの東北の連中より遥かに劣っていたのだよ」
 
私の履歴書・245 思い出す都度、切なく、無力だった自分
私の履歴書・247 北海道にとって東北は目標でしたね
 
「本当ですか? 私も含めて全員そうでしたか? そんなはずはないでしょう」
「私の言うことが正しいかどうかは、当時仙台支店の総務課長をしていた松島君に聞いてみたら分かるよ」
 
「そうでしたか? まさか! そんなにひどかったですか?」
「人間というものは振り返れば自分の劣等時代なんかはぼやけてしまうのだよ。
そんな時代の自分を忘れたいと思うからそうなってしまうのかも」
 
「・・・・・・・・・・・・・」
「それにもう一つ。例えば、お店で代金を払ってお釣りをもらう場合、躊躇なく頭の中で引き算をしているだろう」
 
「えェ」
「あれは意識して引き算をしているのではなく、算数を小学校で習い、練習問題の積み重ねにより、いつの間にか足し算引き算が脳回路に組み込まれ、お釣りの時、無意識のうちに引き算をしているのだよ」
 
「・・・・・・・・・・・・・」
「お釣りの時、引き算が出来ない人とは、それは教えられていないし訓練もされていないから出来ないのだよ」
 
「でも東北の人は、普通の事が出来ないのです」
「他に対して自分と同じレベルを求めたら間違いが起きるよ。
私が北海道在職中に君達に教えたことは異例のことだったのだよ。
だから君達の潜在意識は普通ではなく、特別な高レベルと考えるべきだね」
 
「そう言えば度々温泉で講習会をしましたね」
「君達にとって女子社員との混浴は楽しみだったはずだが」
 
私の履歴書・328 男女社員の混浴の始まり
 
「私はそうではありませんよ。一番喜んでいたのは確か魚住課長かな?」
「君達の脳には、言葉としてはどの位残っているかは分からないけど、自然と戦略思考で物事を考えているはず。だが東北の連中にはその思考回路がない」
 
「そう言われればそうですね」
「それが社員教育なのだよ。東北の支店長という立場とは、東北エリアの収支も当然だが、社員のレベルアップを図って事業拡大を図る責務も負うのだよ」
 
「然し、そんな時間はありません」
「時間で物事を見たら何も問題は解決されないよ。山本五十六が言っていたね。
『やってみせ、いって聞かせ、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ』 と」
 
「やって見せて効果ありますかね、あの連中に」
「それを君が放棄したら永久に東北のレベルアップは出来ないね」
 
「本社の教育担当部署がやるべきではないですか」
「本社にそれを出来る者がいると思うのかね」
 
「いません」
「そう思うのだったら尚更君がやらなければならない」
 
「そうですか・・・・・・・・・・」
「そんなにしょげた顔をするなよ。只、㈱ウズマサの場合、上司は部下に指導しないのが特徴かも。私の部下指導を寧ろ否定する取締役や管理職が大半だね」
 
「初めて聞きました」
「そもそも㈱ウズマサの前身は洛中(京都旧市街地)の工場で、従業員は住み込みの丁稚奉公。だから技術とか知識とかは教えられるものではなく、見よう見まねで盗み取るもの。これが伝統だね」
 
続けて
「だから私は本を読むから、入社一年目に東京支店に転勤したとき、当時の青葉支店長から『本を読む奴はろくな奴はいない。小理屈ばっかりで』とこき下ろされていたのだよ」
 
「へぇ~、そのような人が何故常務取締役までなれたのですか?」
「あの年代は中卒で太秦に入社。4~5歳年上の今の社長の子分として会社の独身寮の塀を乗り越えて夜遊びした仲間だから忠誠心は人一倍だからね」
 
「社長は大卒じゃないんですか?」
京都市内の工業高校卒。先代が即実践力を求めたのだろうね。だから弟さんの方はD大学卒で、その奥さんは京都東山のかの有名な料亭のお嬢さんだよ」
 
「吉田専務取締役も縁戚かそういう関係があるのですか?」
「彼は大学新卒者の第一号なのだよ」
 
「そうだったのですか」
「だから彼は貴重な存在で、然も彼も京都生まれの京都育ち。京都人同士、社長とはアウンの呼吸。だから若い時から人事権を握っていたね」
 
「私の仙台支店長就任も吉田専務人事でした」
「そうだね。君の場合は吉田専務夫妻の仲人だから、一種の情実人事だね」
 
「そんなことないですよ。私の場合は」
「分かった分かった。7割は君の実力だね」
 
「水無瀬部長のおかげで当時面識もない吉田専務が仲人をしてくれました」
 
 
「実はあの時の仲人は私だったかも」
「どうしてですか?」
 
「君の前に結婚式を挙げた関根君からも仲人を頼まれたのだよ。
その時に北海道に来たことがないという吉田専務の奥さんの話を聞いていたので、吉田専務に私が仲人をお願いしたら、北海道での最初の仲人は私がやり、次の結婚式の仲人は吉田専務がすることになったのだよ。もしも吉田専務が関根君の仲人を引き受けていたなら、君の仲人は私だった訳だ」
 
私の履歴書・348戸惑った北海道での会員制結婚式
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/60092551.html
 
「そういう経由があったのですか。初めて知りました」
「まあ、情実人事がどうであれ、宮仕えは結果を出さなければならないから、東北でのシナリオを改めて紙に書いたらどうかね」
 
「そうします」
「まあ、焦らずに急げ!かな」
 
 
      斉木くんから再び電話がかかってきたのはそれから二年後
 
 
                              つづく