今の日本の『和』や『絆』ではサンドバックにされる

 
私達日本人の抱く『和』に日本人以外の人をも含めたら、或いは隣国と『和』の感覚で対峙したなら、とんでもない事になるのは、昨今の他国や他国に洗脳された国内の組織による日本国弱体化攻勢で明らかですね。
 
下記は、以前コピーしておいた2ch掲示板の中からの一部抜粋です。恐らく井沢元彦氏の著作の本からの一部内容の抜粋と思われます。
 
尚、井沢元彦氏と言えば『逆説の日本史』で著名ですね。
特に、週刊ポストに連載された当時、出雲大社の「霊魂牢獄説」には驚愕したものです。
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日本人が「触らぬ神に祟り(たたり)なし」のような事勿れ主義に陥ってしまうには 理由がある。 

日本人の宗教は絶対神をもたない。 
明文化された「聖典」もない。
 
そのため他宗教と違い善悪を人間同士で決めなければならなくなってしまった。 話し合い絶対主義である。 

その結果他宗教と異なり「天罰」や「神罰」のかわりに「祟り」(たたり)という概念で 社会を維持をしようと考えた。 

「祟り」をなす原因とは「言霊」(ことだま)、「穢れ」(けがれ)、「怨霊」(おんりょう)などである。 

「和をもって尊しとなす」の言葉通り、和を乱し空気を読まない存在は無意識に 「穢れ」とみなされる。
 
その結果「世間」という概念を作り上げた。 
それゆえ日本人は理屈を言う人間は好まない。
 
「正しいか正しくないか」より、「和」を乱していないことが最重要項目に なってしまった。 日本だけに通用する「話し合い絶対主義」である。 

原発事故でパニックを起こさなかった民衆も、会議の空気を読んで反対意見を 言わなかった保安院も大きく見れば同じ宗教観から来る現象である。 

「争い事=穢れ(けがれ)」といったパラダイムを日本人は克服しなければいけない。 「戦う時は戦う」といった当たり前のことを放棄するのは決して美徳でも なんでもない。 

いつも日本人が汚名を着せられるのはちゃんとした理由がある。 
日本人の心の中に原因があるのだ。

注)日本人の大半は、日教組に脳髄まで叩き込まれた自虐史観で、汚名を着せられていることも気づいていないかもしれませんね。
           http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1327937225/               ◆
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参考までに、井沢元彦氏の著書とその一部を紹介しておきます。
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井沢元彦図書一覧
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●逆説の日本史〈1〉古代黎明編―封印された「倭」の謎 
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教科書ではわからない日本史の空白部分に迫る。
従来の歴史学界の権威主義、史料至上主義、呪術観(じゅじゅつかん)の無視、以上の三大欠陥を指摘しながら古代史の謎を推理、解明していく。
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日本人の「わ」の精神のルーツは?
宮内庁天皇陵の学術調査を拒み続けるのはなぜか?
あの出雲大社オオクニヌシノミコトの怨霊(おんりょう)を封印するために建てられた「霊魂(れいこん)の牢獄」ではなかったか?
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当時最高の知識人であった聖徳太子はなぜ、「和」こそが日本人の最高の原理としてあげたのか?など。 小学館文庫 (本のカバーから引用)
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●逆説の日本史<4>
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日本人の「平和意識」には、ケガレ思想に基づく偏見があり、特に軍隊というものに対する見方が極めて厳しく、「軍隊無用論」のような世界の常識では有り得ない空理空論をもてあそぶ傾向が強い。
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また、なぜ世界でも稀な「部落差別」が生れたのか。差別意識を生むケガレ忌避(きひ)思想を解明し、その精神性の本質に迫る。小学館文庫 (本のカバーから引用)
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●穢れ(けがれ)と茶碗
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日本の常識は、世界に通用しない!進歩的文化人憲法学者、平和主義者…彼らの「差別意識」が国を滅ぼす。
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第1章 日本人は軍人を差別する―平安時代に起源を持つ日本人の病根
第2章 穢れと言霊(ことだま)―軍人差別と部落差別の共通点とは
第3章 平和憲法教が国を亡ぼす―作家・井上ひさし氏への公開質問状
第4章 戦後平和教育の幻想と錯覚―きれいごとで、真の平和は達成できない
第5章 日本人の目を曇らせる「常世」(とこよ)思想―いま見据えるべき、
真の国際化への道  ノン・ポシェット (本のカバーから引用)
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●「言霊(コトダマ)の国」解体新書
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言霊(コトダマ)の国に「言論の自由」はない。
「自分の国は自分で守る」という「世界の常識」を口にすると、「平和の敵」とレッテルを貼られてしまう。
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「平和」を唱えていれば努力をしなくても「平和」が続くと信じられているこの国では、「有事に備えようとする者」は「戦争を望む者」とみなされるのだ。
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「日本は負けるかも知れない」と本当のことを言えなかった戦時中と、いったいどこが違うのか?日本を「世界の非常識国家」にしてしまったコトダマイストたちの言論統制の実態を、井沢元彦氏が分かりやすく「解体」してゆく。小学館文庫 (本のカバーから引用)
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朝日新聞の正義―対論 戦後日本を惑わしたメディアの責任 
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日本を代表するメディアである「朝日新聞」。
その「護憲」「平和」「人権」思想は、戦後日本にどのような影響をもたらしたのか。
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なぜ朝日は尊大でいられるのか、
まるで「人権真理教」の新聞ではないか、
朝日の民主主義ほど怪しいものはないなど、
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「新・ゴーマニズム宣言」の漫画家・小林よしのり氏と「逆説の日本史」の作家・井沢元彦が徹底討論、その問題点を浮き彫りにしていく。
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史上最強の論客の初顔合わせでペロリッ!化けの皮を剥いでやる。
小学館文庫 (本のカバーから引用)
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神道からみたこの国の心―日本人の「内なる原理」を明かす 
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日本人はひとり残らず神道の信徒である。
世界一宗教心の篤い(あつい)国民の「内なる原理」とは何か。
徳間文庫 (本のカバーから引用)
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追記)お~たんママさんから質問がありましたから追記しました。
 
この大国主を奉る『出雲大社』の場合と菅原道真を奉る『天満宮』(『天神様』)と同じく、タタリを恐れて建造されたものですね。
 
井沢氏は、出雲大社についてつぎのように書いています。
 
①日本で最大の建造物に祭られている。

※雲太和二京三(うんた・わに・きょうさん)の故事で有名
これは日本で最も高い建物の順番であり、一位が出雲大社、二位が奈良の東大寺大仏殿、三位が京都の平安京大極殿ということ。

つまり朝廷は大国主(おおくにぬし)のタタリを恐れるあまり、大国主の霊をなだめるため天皇の御所より大きな建物にした。
 
②ご神体の向きが変わっている。
参拝者は大国主ではなく御客座五神を拝んでいる。

これは参拝者に大国主を拝ませないためだ。
また御客座五神は大国主が祟らないように監視しているのだ。
 
イメージ 1

出雲大社の見取り図)

③注連縄(しめなわ)の作り方が他の一般の神社とは反対になっている。
これは死者の衣装を左前にするのと同じ理由である。
 
④普通の神社は二礼二柏手だが、出雲大社では四柏手をする。
四は死であり、これは大国主に『お前は死者なんだ』と伝えるためとしか考えられない。
 
詳細は下記サイトでご覧下さい
 
出雲大社紫野教会
出雲大社は怨霊の神社?』

(抜粋1)
実は出雲以外にも神座が横向きの神社があるのです。
それはなんと鹿島神宮です。
鹿島神宮と言えば、国譲りで天孫の使いとして剣の上に座って、大国主神に国を譲るよう交渉したあの勇猛な神、建御雷神(タケミカヅチ)が祀られている神社です。その鹿島神宮は本殿が北向きに造られて、神座が横を向いています。

井沢氏の主張は「大国主神を拝ませないために神座が横向きだ」ということですが、とすると天孫側からすると大功臣である建御雷神も拝ませたくない、ということにならないでしょうか。なお、鹿島神宮の建御雷神の神座も東向き、つまり鹿島灘の方に向いています。

(抜粋2)
改めて井沢氏の主張を確認しましょう。
「いずれにせよ、大和朝廷オオクニヌシを恐れた。なぜ恐れたかといえば、滅ぼしたからである。それは決して「国譲り」などという「和の精神」によるキレイ事ではなく、もっとドロドロした殺戮だったに違いない。

 だからこそ、大和朝廷オオクニヌシを丁重に祀らなければならなかった。」(逆説の日本史1)

 しかし、この説(怨霊理論)の最大の問題は、同じように大和朝廷から滅ぼされたのにも関わらず、丁重どころかまったく祀られていない人物がいることです。

 その人物とは「長髄彦(ながすねひこ)」です。
長髄彦は大和の国を支配していましたが、神武天皇との戦いに敗れ、結局は殺されてしまいます。実はこの長髄彦を祀っているという神社を聞いたことがありません。小さいところであるのかもしれませんが、大きなものはありませんし、神武天皇以後の神話、史書等で長髄彦の祀りをしている、という記述も一切ありません。

(抜粋3)
有名な話ですが、一般の神社の参拝作法は二拝二拍手一拝なのに、出雲大社では二拝四拍手一拝となっています。これについては「どうして「四柏手」なのか。「四」は「シ」であり「死」に通じる、縁起の悪いことこのうえもない。」(逆説の日本史1)と記され、これも大国主命に死を自覚してもらうためにわざと縁起の悪い四拍手にしている、というのが井沢氏の推論です。

 ですが、これも無理があり、出雲大社だけが四拍手ではありません。他には宇佐神宮大分県)や弥彦神社新潟県)でも四拍手ですし、神宮(伊勢神宮)でも参拝者はしませんが、八開手という作法があります。

 実は二拍手になったのは明治時代に神社が国家管理に入ってから後、作法を統一していったためにそうなっただけで、それ以前は各神社がばらばらな作法をしていたようです。

怨霊対策
 


(神社の起源)
天皇宮中祭祀の源はユダヤ教』 2017/6/26(月)