私のルーツ探索(3)淵名孫三郎の碑
注)初めてこの書庫をご覧の方は、下記(1)と(2)からご覧下さい。
私のルーツ探索(1)祖母淵名家
私のルーツ探索(2)全校生徒で演じる淵名孫三郎とは?
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私のルーツ探索(3)淵名孫三郎の碑
西目小学校で淵名孫三郎の劇をやったなら、孫三郎の石碑の場所を知っているに違いない! 早速、西目小学校に電話を入れ、聞き出すことが出来ました。
西目駅から線路沿いに400m程行き、最初の信号機のある交差点の南西角。
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国道7号線からは『西目高校前』信号を東に入り、直ぐの踏み切りを渡ったところの交差点。西目小学校の並び。
そして、8月11日、お蔭様で、すんなりと孫三郎の石碑を発見。
上の画像の右方、白い石台に載っているのがその石碑。
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150年前に建てられたものと言えども、文字はちゃんと読めますから、石碑とは凄いものです。
風雨にさらされての時の流れを感じさせるものでした。上の右側の画像、中央左下の小文字に『淵名孫三郎』の文字を読み取れます。
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この石碑の手前にあるのが、石碑を模写したもの。(下の画像)
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以下、石碑に刻まれている文字の淵名に関する箇所を略解。
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文政11年(1828年) 戌(いぬ) 子(ね)年.
西目郷潟新田開発に掛けた六郷兵庫頭(本荘藩主 六郷政恒1822-1848)様の御家来淵名孫三郎
戒名 『耕雲齋茂林栄種居士』
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. 注)文政11年(1828年)とは干拓事業を着工した年のことですね。
この碑の建っている公園は西目町役場の跡地とか。
この記念碑が建てられたのが『あきた(通巻142号)1974年(昭和49年)3月1日発行』によると、元治二年(1865年)ですね。
他方、本荘のブログ友の話では、『孫三郎の橋』もあるとのことでしたが、ころっと忘れてしまいました。
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この碑の建つ公園から観た干拓された農地です。
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干拓された田んぼが広がります。
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画面右方の彼方に鳥海山が観えるはずですが、この日は曇で見えません。
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場所は、本荘(鶴舞)公園の北西、本荘郵便局の南隣になります。
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.淵名家のお墓に行くには、ちょっと分かり難いですから説明します。
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先ず、この山門(楼門)の南隣にある駐車場から入り、墓の間を西に進み、突き当たります。
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そして突き当りの左手前1列目を南の方に左折します。
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この画像が左折した時の南の列の画像です。更に南の突き当たりの左方手前に、白い石塔が垣間見えるしょう。
その手前隣の西向きの石塔が淵名孫三郎が眠るお墓です。
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.石塔は昭和11年10月、淵名重海氏が新しくしたものですが、土台は江戸時代のものです。
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私の母が、父亡き後に、毎年お盆やお彼岸にお参りしていたのです。
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淵名家の直系は亡くなり、誰が墓守をするのかは不明ですが、誰かが花を手向けています。
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西目衆の方でしょうか。それとも、この由利地方に住む淵名の子孫の方でしょうか。
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参考)下記マップの中央が孫三郎が干拓した農地。.
つづく
私のルーツ探索(4)室町時代の淵名氏は祖先なのか?
2012.08.31