志賀直哉の「城の崎にて」

 
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浦富海岸
(うらどめかいがん)
 
島崎藤村がこの地を訪れたとき、「松島は松島、浦富は浦富」と絶賛したということだが
 
 
 
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ここに来たのは40年前かな?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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道の駅 あゆの里 矢田川(やたがわ)
主要地方道香住村岡線
兵庫県美方郡村岡町長瀬
 
 
 
 
 
 
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志賀直哉の「城之崎にて」の文中で彼が散策した鋳物師戻峠(いもじもどしとうげ)。
 
温泉街の城崎と漁港の竹野とを結ぶ唯一の道として利用された。
 
と言っても1980年にこのトンネルができましたから、当時の道とはちょっと違う。
 
(参考)旧峠道『鋳物師戻し峠』の昨今の状態は下記URLをクリック。
 
鋳物師は金属を溶かして鍋釜などを修理した職人。ある鋳物師が城崎での仕事を終え、帰りにこの峠で一服した。ふと上を見ると、そこには今にも落ちて来そうな大きな岩が。それに驚いた鋳物師は慌てて城崎に逃げ帰り、そのことから鋳物師戻しの名がついた。
 
 
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                http://www.kinosaki-spa.gr.jp/
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峠を下りると城之崎温泉。
 
ここは43年ぶり。
文学碑だけがやたら多くなっていた。
 
 
 
 
 
 
 
志賀直哉の小説「城之崎にて」より一部抜粋
 
「自分は別にいもりを狙はなかつた。ねらつても迚(とて)も当らない程、ねらつて投げる事の下手な自分はそれが当る事などは全く考へなかつた。
 
石はコツといつてから流れに落ちた。石の音と共に同時にいもりは四寸程横へ飛んだやうに見えた。いもりは尻尾を反(そ)らして高く上げた。
 
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自分はどうしたのかしら、と思つて居た。最初石が当つたとは思はなかつた。いもりの反らした尾が自然に静かに下りて来た。
 
するとひぢを張つたやうに、傾斜にたへて前へついてゐた両の前足の指が内へまくれ込むと、いもりは力なく前へのめつてしまつた。尾は全く石へついた。
 
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もう動かない。いもりは死んで了(しま)つた。自分は飛んだ事をしたと思つた。虫を殺す事をよくする自分であるが、その気が全くないのに殺して了つたのは自分に妙ないやな気をさした。」
 
 
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「自分は偶然に死ななかった。蠑螈は偶然に死んだ。自分は淋しい気持になって、漸く足元の見える路を温泉宿の方に帰って来た。
 
遠く町端れの灯が見え出した。死んだ蜂はどうなったか。その後の雨でもう土の下に入って了ったろう。あの鼠はどうしたろう。海へ流されて、今頃はその水ぶくれのした体を塵芥と一緒に海岸へでも打ち上げられている事だろう 
 
 
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そして死ななかった自分は今こうして歩いている。そう思った。自分はそれに対し、感謝しなければ済まぬような気もした。
 
然し実際喜びの感じは湧き上っては来なかった。生きている事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった。それ程に差はないような気がした。」
 
 
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菊池寛   志賀直哉の小説「城の崎にて」の評
 
「殺されたいもりと、いもりを殺した心持とが、完璧と言っても
偽ではない程本当に表現されている。
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客観と主観とが、少しも混乱しないで、両方とも、何処までも本当に表現されている。何の文句一つも抜いてはならない。また如何なる文句を加えても蛇足になるような完全した表現である。
 
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この表現を見ても分る事だが、志賀氏の物の観照は、如何にも正確で、澄み切っていると思う。
 
この澄み切った観照は志賀氏が真のリアリストである一つの有力な証拠だが、氏はこの観照を如何なる悲しみの時にも、欣(よろこ)びの時にも、必死の場合にも、眩(くら)まされはしないようである。」
 
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土曜の夕刻なのに、観光客はまばら。
街を散策する浴衣姿の女性は片手で数えれるほど。
ここでも、昔農協、今はおばちゃんパワーが目立つだけ。
 
この川沿いに木屋町という地名があるように、京都・木屋町高瀬川沿いに石の文学碑を幾つか置いたら、お互い、錯覚するかもしれない。
 
七つの外湯を巡れるのだが、二つで止める。
ここでは内湯の方が何故か落ち着く。